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広島ドラゴンフライズの下克上に投映された《インビクタス~負けざる者たち》南アフリカの不屈の魂を、みんなの為に体現したセンター・河田チリジの外偉人レコード④

 季節外れの桜に酔いしれたのは2019年の秋だった。ラグビー日本代表・ブレイブブラッサムスの期待通りの番狂わせに、日本中が熱狂した楕円球の転がった先のクライマックスを、記憶している日本人も多いはずだ。

季節外れの桜の舞は、美しく秋の夜長を彩った。密な熱狂の後、年を越したらパンデミック…

 スプリングボックスの愛称で世界中のラグビーファンを虜にした南アフリカ共和国代表が、12年ぶり3度目のW杯を制覇し、同国初の黒人主将シヤ・コリシがカップを力強く掲げたのは11月2日、少し肌寒い横浜の夜だった。黒人達のスピードやパワー、リズミカルなステップに、白人達の精密なキックやコントロール、多彩なイマジネーションが見事に融合し、持ち併せた全てがフィールド内に体現され、大会期間中そのバランスを保ち、強さを誇示し続けることが出来たスプリングボックスは、誰の目にも世界最強にふさわしい、不屈の闘う集団であった。

ファフ・デクラーク(前左)シヤ・コリシ(前右)
負けざる者たちが、最後に歓喜の雄叫びを上げた
W杯ラグビー2019年日本大会



 南アフリカのサバンナを駆け巡り、跳ね回る跳羚羊・スプリングボックスの縦横無尽な連動は、彼ら黒人と白人が一致団結し、スクラム組んで共生する世界の理想郷を反映するような、絶妙なハーモニーを見せつけた。ラグビーボールが不規則に転がる予測のつかぬフィールドで、緒戦のオールブラックス(ニュージーランド)戰の痛恨な敗北にも下を向かず、再び美しいボール回しと正確なキックでチームを統制し、結局、頂点へ登り詰めてみせた不屈の魂とプロセスは、ネルソン・マンデラが熾烈な時にひたすら耐え、絶えず冷静な判断を下し続け、遂に大統領の椅子に座った道のりを、ラグビーに投映させたようなドラマの完結だった。

N・マンデラの言《レインボーネイション》よりレインボーフラッグとも呼ばれる南アフリカ国旗

 その南アフリカ共和国が今、混沌としている。マンデラ率いるアフリカ民族会議(ANC)が悲願の与党第一党を奪取して、アバルトヘイトに事実上の終止符を打った1994年の総選挙以来、初めてANCの過半数割れが現実味を帯びて来ている。その結果が、真の人種的融合と和平をもたらし、必要な均衡と調和が是正された理想型で、南ア全土にもたらされることを祈るばかりである。

サバンナを跳躍するスプリングボック。カンガルーみたいですな。

 ルパン三世の相棒・次元大介を彷彿とさせる風貌で、西部劇の顔としても活躍したクリント・イーストウッド監督が2010年、世に贈った映画《インビクタス〜負けざる者たち》は、その新生マンデラ政権率いる南アフリカ共和国で、自国開催され、ようやく初出場を許された1995年のラグビーW杯を舞台に、代表チーム・スプリングボックスが、初出場初優勝への階段を駆け上がっていくチャレンジングな経過を辿りながら、マンデラ大統領と南アの黒人達が強いられた、あまりにも過酷で長い苦難の道のりをも、そこに投影して描いた、ヒューマンスポーツドラマの傑作である。

 当時、共和党の最たる保守派とさえ目されていたハリウッドの重鎮・イーストウッドが届けたサプライズは、世界中にインパクトを醸しながら観衆の心を打った。それはあたかも、ラグビーの試合最終盤、敵陣深くトライを狙ってボールを廻すかに見えた次の瞬間、機転の利いたスタンドオフが逆転の決勝ドロップゴールを蹴り込んだような、伊達で爽やかな裏切りを演出してみせた。

 大統領の座に就いたマンデラは、忍耐強く白人優位の社会と対峙し、そのシンボルとも呼ばれたスプリングボックス内にも協調・共闘を促し、一方で黒人達の暴発を冷静かつ情熱的に懐柔し、やがてその博愛と求心力は、白人と黒人のスクラムをがっちり組ませることに奏功し、フィールドにも社会にも、南アフリカ共和国の新時代のバランスと推進力をもたらした。

 チリジ・ネパウェは、南アフリカにアパルトヘイト政策撤廃の機運が最高潮に達していた頃、1989年6月10日、ヨハネスブルグ近郊の農村に生まれた。まさに激動の幼少期を希望の高まりと共に過ごし、やがてバスケットボールにその希望を託しながら、まだまだ白人優位の歪んだコミュニティの中で、決して諦めず、決して屈せず、決して現実に背を向けずに、明るい明日を追求するマンデラ大統領はじめ周囲の大人達の不屈のメンタルを、間近に見て感じて、その気概を踏襲しながら逞しく生きて来た世代であろう。

わし、チリちゃんの大ファン・ブースターになりました!

 フィジカルを含む天性のポテンシャルに恵まれたチリジは2006年、中等教育を受けながら大学チームにも籍を置くと、堅守速攻で頭角を現す。2008年には州選抜チームの中でも抜群のタレントを発揮したチリジは、翌2009年、南アフリカバスケットボール協会の橋渡しにより、19歳で大西洋を渡る夢の切符を掴んだ。フルスコラ―シップ《返済不要の奨学金》を授与され、カリフォルニア州のストーンリッジセカンダリースクールからニューメキシコ州立大学卒業までの六年間、一切合切が賄われる恵まれた環境の中でプレーする場を与えられたようだ。その素晴らしい青春に、アフリカの農村発アメリカンドリームをひとまず叶えた、と言っても過言ではないだろう。

 正直、僕自身はバスケがトラウマだった。小学生の時分、一際チビだった自分がミニバスケのチームで3年間奮闘した。試合に負けると、顧問は戦犯と思われる子供の名前を呼んで、並ばせた。僕の順番も回ってくる。「メガネを外せ!なんなんだ!あのマグレシュートは!」凄まじいビンタの威力に、体育館の床に叩きつけられ、追い討ちの蹴りが飛んで来ることさえあった。スリーポイントくらいの距離から放った得意のショットが決まらなかった末に、惨敗を喫した試合後の痛烈なペナルティである。

 果敢に三盗を試みて失敗しても、ベンチから手を叩いて鼓舞してくれるカープ・アライ監督みたいな寛容な指揮官や、サッカー解説の松木安太郎さんみたいに「シュートで終わったから、まぁイイですね♪」とか褒めてくれる指導者が、まだ絶対数足りなかった時代の割と末期である。チリジが生まれ落ちた頃の我が国の教育現場の片隅で、依然として野放しにされていた癇癪玉の炸裂は、弾け去るバブルを追うように大人しく鳴りをひそめて行くことになる。

ドラフラ✖︎サンフレ✖︎カープ+お好み焼き=広島

 ドラゴンフライズ躍進のお陰で、本当にひさびさにバスケを観た。昔、カリフォルニアに暮らしていた時代、地元レイカーズの試合に誘われても、即座に"sorry…"と断っていたバスケトラウマの自分が。
しかし、王者・琉球ゴールデンキングスにねじ伏せられた初戦(64-72)を見終えて「もはやここまでじゃろ...」と率直に感じた。琉球王国の牙城はとても崩れそうになかった。「アレンパ」って実は、黄金色に輝く琉球王に捧げられし流行語になるのね、と。

ファイナルの勝因を振り返る、6月1日土曜日の中国新聞《勝ちじゃけえ⑦》そうじゃろ〜!

 ガラッと流れを変えたのは、センター・河田チリジのディフェンスだった。後が無くなった2戦目、先発起用に応えたチリジは、まさに広島ドラゴンフライズに聳える壁だった。壁と呼ぶには安っぽいくらい、その河タワーは琉球の多彩な攻撃を次々と阻んでは、リバウンドから流れるような味方の攻撃に繋げ、ポイントを奪った。昨日まで琉球の思惑通りに展開し、そこに君臨していたキングの牙城が微妙に揺らぎ始めた。河タワーに跳ね返され続けたディフェンディングチャンピオンに、次第に焦りの色が見て取れた。覇権を誇った覇者の覇気が、徐々に失われていくのが伝わって来る。それでも流石のキングスが、じわじわ詰め寄って来ると、チリジがすかさずダンクを突き刺さしては、また突き放した。第二戦は、72-63でドラフラが勝利をもぎ取り、勝負は運命の最終第三戦に持ち込まれた。潮目は、ハッキリと変わっていた。

5月28日火曜日、雌雄を決する第三戦のPVは、綺麗にサンフレカラーのパープルに暮れなずんだEピース広島で始まった。

 南アフリカから本場・USAを経由して、2015年から日本に活躍の場を求めて広島を含む国内の数チームを渡り歩いたチリジ・ネパウェは、昨年、日本に帰化し、河田チリジと名を改めて、広島ドラゴンフライズのコートに帰って来た。34歳になったチリジの老獪とも呼べるプレーと堂に入った存在感は、雌雄を決する三戦目、味方・広島のチームメイトに、すっかり安心感と勇気を与えているように、僕の目には映った。センターにどっしりとチリジが構えると、広島の空気が締まる。すると、周りのチームメイト達も水を得た魚の様にコートを躍動し、力みの抜けた華麗なショットやアシストを悠々と決めていった。

Tshilidziiii U R sooo coool !!グッズもクールじゃけぇ!!

 その構図は、開幕からなかなか調子の上がらなかったカープの秋山翔吾がようやく、1番・センターにどっしり座り、右に左に快音を響かせ、右へ左へ飛球を追っている昨今の安心感にソックリだ、と僕はチリジと秋山を重ね合わせて観ていた。両者が活躍する度にベンチの朝山※の笑顔がクローズアップされるからではない、笑笑。
 ※朝山正悟(ドラフラ・今季で引退するレジェンド)
 ※朝山東洋(カープ・一軍打撃コーチ)

 チリジ同様にアメリカ合衆国の大地に夢を追い、カープに瓜二つのシンシナティレッズのユニフォームに袖を通し、しかし、多士済々の環境に悪戦苦闘し、祖国で位置したトップランクのプライドは傷つき、球質の重たいストレートにバットをへし折られた。チリジがニューメキシコで「やべぇ...」と天井を痛感したように、オハイオの秋山も「マジかよ...」と唸る日々だったかもしれない。しかし、その苦悶の日々も、夢との格闘を許された選ばれし者だからこそ、味わえるありがたい苦味であることもまた、両者は心の片隅に感じながらプレーを続けていたはずだ。

チャンピオンシップファイナルのドラフラに聳えし208cm 122kgの河タワー

 そんなチリジだからこそ、この夜の決戦の舞台・横浜アリーナに程近い新横浜のフィールドで、5年前の秋、変幻自在に楕円球と自らの肉体・精神をコントロールしきって頂点を極めたスプリングボックスのように、そして、ネルソン・マンデラのように、何者にも屈せず、自身にも屈せず、いかなる状況にも卑屈にならず、機が熟したその時に、果たしてみんなの為に、その実を手繰り寄せ、そして掴み取ってみせた、と僕は感じている。

 トラウマ去りし広野は夕焼けの朱に染まり、負けざる者たちの系譜を歩む怪人が、其処を高らかに跳躍し、降り立つ宮島さんの大鳥居の如し巨影に、僕はずっと見惚れている。ありがとう広島ドラゴンフライズ!来季もチバりょ琉球ゴールデンキングス!

追伸、《ワンポイントイングリッシュ》
【ドラゴンフライズ】って【龍が飛んでいる】わけでも【龍の唐揚げ】でもございません!《dragonfly: トンボ》じゃけぇ!笑。しかし、
Dragon fliesと区切れば、龍も飛んでいそうですが、笑。

優勝報告会はマツダzoom2スタジアム広島で開催され、チームカラーの朱色に染まった。
ドラフラ・サンフレ・カープ三位一体の《広島じゃけえ画》じゃけえ?



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