トレーニング開始までの苦労と取り組み―ママアスリート・高木エレナ 復帰への道 Vol.2
日本リーグ女子・三重バイオレットアイリスに所属し、日本代表経験もある高木エレナ選手。2018年12月に長男を出産したあと、競技復帰をめざしてトレーニングを行なってきた彼女の復帰までの道のりを追った弊誌『スポーツイベント・ハンドボール』2019年11月号から20年3月号までの連載「ママアスリート・高木エレナ 復帰への道」を全文公開します。連載第2回では、高木がトレーニングを開始するまでの苦労と、実際に取り組んでいる内容を紹介する。
・連載第1回はこちら
高木 エレナ(三重バイオレットアイリス)
1991年生まれ、28才(旧姓・山根)。
夫・永士さんは実業団チームのHONDAに所属していた。日本リーグ・2018-19シーズンは産休し、18年12月に第一子となる長男を出産した。
産後半年経過後にプログラムがスタート
高木が「産後期トレーニングサポートプログラム」を使って、実際にトレーニングをスタートさせたのは2019年の6月上旬ごろ。18年12月の第一子出産から、約半年経ってからの始動となった。
出産前から競技復帰を口にしており、19年12月の復帰を目標にしていた高木。少しでも早くトレーニングに入りたいところだったが、当初はこのプログラムの存在を知らなかったことに加えて、子どもへの授乳の間隔が空いていなかったこともあり、外に出ることも難しかった。
出産後3ヵ月の段階で所属する三重バイオレットアイリスのサポートのもと、一度ランニングをしてみたが、もともとケガを抱えていたヒザの状態が悪く、20分で断念するなど、その段階ではトレーニング開始に踏み切ることができなかった。
それでも出産から4、5ヵ月経つと、自宅で軽くスクワットを行なったり、1、2個のトレーニングメニューをこなすなど、自身で工夫しながら身体の状態を整えていった。
翔陽くんを背負ってトレーニングに励む高木エレナ選手(チーム提供)
そして半年が経ち、6月からサポートプログラムを実施するに際し、再び病院で検査を受けたところ、骨盤の緩みが戻りつつあることなどから、身体の状態は戻ってきていると判断され、トレーニングを開始する許可が下りた。
とはいえ、産後の身体の状態というのは俗にいうケガを負った状態。最初はトレーニングというよりも、リハビリテーションのような内容がメインだった。
三重の佐久間雅久、木本雅子両トレーナーの協力を受けるとともに、国立スポーツ科学センター(JISS)からも産後期特有の症状やトレーニングの内容についてアドバイスやサポートをしてもらいながら、本格的に復帰に向けて動いていくことに。
そして6、7月は佐久間、木本両トレーナーや三重・梶原晃監督、櫛田亮介チームマネージャーとともに、トレーニングを週3日のペースで行なった。
そのトレーニングの中で重要視していたのが「GKトレーニング」、「ウエイトトレーニング」、「アスリートとしての基本性能」という3つのメニュー。この3つの中から2つを1日のトレーニングとしてローテーションで行なうことで、バランスよく3つの分野を鍛えることができた。
その中でも筋肉量が産前と比べてかなり減っていたため、ウエイトトレーニングに重点的に取り組んだ。「トレーニング開始当初から筋肉痛が来るくらいに追い込んでいました。当時は1日約3回の授乳をしていたので、体重がすぐに落ちてしまい、キープするだけでも大変でした」と高木は当時の苦労を口にする。
そうしたトレーニングの成果は着実に身体に表れ、7月には長時間のランニングやジャンプトレーニングができるほどに状態が上がっていった。
大きな一歩を踏み出しプログラムを再開
その後も順調にプログラムが進んでいったかに思えたが、高木にとって大きな山場があった。
これまで以上にトレーニングの強度を高め、頻度を増やすためにも、トレーニング中は子どもを預ける必要があった。実家が遠方で頼ることができなかったため、三重県鈴鹿市のNPO法人が運営するファミリーサポートセンター(育児の援助を受けたい人と、育児の援助を行ないたい人を会員として組織し、地域における子育てを支援する相互援助の会員組織)を利用する予定だった。
しかし、出産後からずっといっしょに過ごしてきた子どもを他人に預けるということになかなか踏み出せず、大きなストレスに。そうしたこともあり、8月は丸1ヵ月トレーニングをすることができなかった。
それでも心理の専門家である米川直樹さん(三重大)のアドバイスを受けながら、「アスリートとして、母親としてよく決断してくれた」と櫛田さんが話したように、最後は高木が一歩を踏み出し、子どもを預けることが決まり、再びプログラムを行なえるようになった。
そして9月からはウエイトトレーニングに加えて、ダッシュやGK練習もスタート。午前中のウエイトトレーニングのあと、夜からの三重の練習に週3日参加するなど、着実に競技復帰への階段を上がっていった。
子どもの送迎や家事などで、夜のチーム練習への参加は約1時間と、限られた時間しかない中で、 集中して練習に取り組む日々を送っている(連載当時)。
高木は今の自分の状態(連載当時)についてこう話す。「産前のプレーにこだわりすぎていると負担になってしまいます。目の前のことを1つひとつやっていれば、今までと違ったプレーができるかもしれないと、楽しみな気持ちが大きいです」
復帰への焦りはなく、今までと違った自分が見られることにワクワクしながら練習に参加しているようだ。
選手によって柔軟に対応する十人十色なプログラム
今回、高木は産後半年経ってからのプログラムスタートだった。身体の状態によってさまざまだが、産科主治医より運動許可が出れば、JISSでは産後1ヵ月からトレーニングを開始する選手もいるという。
トレーニングの内容は、選手の復帰時期や産後の身体の状態、行なっているスポーツの種類によって異なる。すべての選手が同じメニューをこなすことはなく、それぞれの選手に合わせてトレーニング指導員がメニューを考え、実施される。
また、高木が所属する株式会社ホンダロジスティクスがプログラムに協力してくれたことも大きかった。
育児休暇中の社員がトレーニングをすること、試合に出場することは会社にとっても初めてだったが、CSR事業(社会貢献事業)の促進につながるということもあり、お互いにいい関係を築きながら、高木がトレーニングに集中できる環境が作られている。
第3回では、以降のトレーニングのようすをお伝えするとともに、プログラムを実施するに至った高木の思いをご紹介する。
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