1年間日記を続けみて想うこと
これまで、 一週間以上続けて日記を書いたことがなかった。
飽きっぽいのもあるだろうし、根性がないのもあるだろう。
昔、チャレンジした時も、自分の書いた日記を見返して、何か不快なもの感じて、すぐに嫌になったのを覚えている。
日記を書いている人から見れば 、日記を続けるなんて、何ともないことだろう。
しかし、私から見れば、日記を書く人は、どこかきん肉マンに出てくる超人のような感覚さえ持っていた。
そんな私が、昨年の12月31日から、日記にチャレンジし始めたのだ。
あと2日だ。あと2日で1年となる。。
1年という節目は、やはり感慨深いものがある。
我ながらよく頑張ってこれたものだ。
続けてこられたのは、続けていくなかでも、その意味や目的、価値を見いだす事ができたからなのだと思う。
日記を書くようになってからだろうか。
以前より、時間についての感覚が研ぎ澄まされているように思う。
今、存在していたはずのこの瞬間は、現在から過去となり、消えていく。
今、この瞬間は、本当はもっと、もっと、大切であり、愛おしいものであるかもしれない。
しかし、それに気付くこともなく、何でもない日常として、記憶にさえも残らず、過ぎ去っている。
記憶に残らない私は、確かにそこに存在はしていたのだろう。しかし、記憶にない私は存在していなかったともいえる。
幼少期を思い出すと、沢山の思い出はある。
しかし、それは断片的て、取り出せる記憶はほんの一部だ。
記憶とは、曖昧で、 時間とともに変化し、薄れていく 。
それはどこか、過去と現在の繋がりが曖昧になっている原因でもあるように思う。
記録に残しておけば、いつでもその瞬間を再現することができる。
私は訪問リハビリの仕事に従事しているが、利用者の方に、定年後に全国各地を夫婦で車中泊をしながら 旅をした方がいらっしゃる。
その方は 旅行の 記録を ビデオカメラで撮り 、大事に保管をされている。
その方、曰く。
記録かあれば、それを見返すことができる。
それは、同じ場所を もう一度旅行することと同じである。
また、記録は見返すことで、記憶としてより定着するのだと。
日記とも大いに通じる話だと思った。
ただ、映像と日記での記録の違いは、その時の感情や思考は、映像ではなかなか記録できないことだと思う。
日記は、アプリの『10年日記』を使っている。
このアプリは、シンプルで分かりやすく、写真も保存することができる。
1ページに同月同日を10年間記録することができ、2年目からは1年前の同じ日に自分が何をしていたのか、一目で分かる作りになっている。
日記には、
その日にあったエピソード、
考えたこと、
気持ち、
心に残った文章、
メモなど、
縛られることなく 自由に書いている。
写真も多く残している。
もうすぐ日記を書いて2年目となるが、1年前の同月同日の私が、どんな瞬間を過ごし、経験し、感じ、気持ちでいたのか。
それを見るのが、楽しみでもあり、これまで続けてこれた動機ともなっている。
この瞬間、この瞬間をより大切にしながら、
これからも楽しく日記を続けていこうとと思う。
日記を書くことのきっかけを与えて下さった方に感謝しつつ、noteに綴る。
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