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「NEOかわいい」って愛だよね。

「かわいい」という言葉がこわかった。

「かわいい」には、似合う人とそうでない人がいて、決められた条件をクリアしていないと掛けられちゃいけない言葉だと思っていた。だから、条件を満たしていない自分にたまに向けられる「かわいい」には、悪意が含まれているんだと思っていた。コンプレックスのかたまりだった。

コンプレックスのかたまりもかたまりすぎて、「コンプレックスはどこ?」という日常会話すら居心地が悪く、笑いながら自分の弱みをさらけ出すなんてとてもじゃないけどできなかった。その話になると、途端に口から言葉が出なくなる。それほど思いつめていた。コンプレックスを新たに見つけてはため息をつき、ときに自分のそれから逃げ出せないことに気づいて泣いてすごすこともあった。

というのが、主に思春期からここ数年まで続いていた。
自分を好きになれなかった。


「コンプレックスはアートなり」

社会人1年目の頃だったと思うけれど、その時なにかで知ったニュー・エキサイト・オンナバンドのCHAIは「コンプレックスはアートなり」を唱えていた。ずいぶんと男前なリズム隊とテクニシャンなギター、彩りを豊かにするキーボード、そしてかわいらしい歌声。これらにすっかり魅了された私は、彼女たちが発信する前向きなメッセージにも、とても心打たれた。

やっぱり、 “N.E.O.”は最強だ。
コンプレックスについて友達や他の人と話すことすらできなかった私にとって、本当に衝撃的だった。

目ちっちゃい 鼻低い くびれてない 足太い
ナイスバディ! オーライ!

この明るさ、高らかさ、前向きさ、そして包容力と言ったら! ステージの上でも堂々とコンプレックスの話をするCHAI。彼女たちを見ていると、ぎゅっと抱きしめられたあと、自分の鎧をゆっくりと脱がされる感覚に陥る。「私たちもコンプレックス持ってるよ、でも大丈夫だよ」と。世間が認めるかわいい人、かっこいい人はもちろんすばらしい。やっぱり憧れちゃうから。でもそうじゃない人たちだって、「ぱっと見にはわかりにくい、自分自身の味」を持って、堂々と生きてたっていいはずだ。


CHAIからもらった「かわいい」を胸に

2017年10月にCHAIのライブを観に行った時、物販で彼女たちとしゃべる機会があった。おろおろしながら物販コーナーに行った友人と私を、4人は「おいでおいで!」と満面の笑顔で手招きしてくれた。そこからもう、「かわいいね〜!」、「ほんとかわいい!」、「こういうところがかわいいよね!」と、「かわいい」の嵐だった。私の心の氷がCHAIの愛で完全に溶けたのはその時だった。「私、かわいいって言われたいとずっと思ってたんだ」、「言われてもよかったんだ」と。「そんなことは思ってはいけない」という否定的な気持ちを自分で認められただけで、びっくりするほど心が軽くなった。いまでも覚えている。

自分で自分自身を受け入れることは本当に難しい。でも、彼女たちの存在と、楽曲と、「NEOかわいい」という呪文がある限り、私は自分を肯定してあげることができると思う。

なにかと生きづらい世の中だ、と感じる。でも、自分にかけられた呪いは少しずつ剥がしていける。気のせいだっていいのだ。思い込みは人を強くする。そして、思い込みはきっといつか本当になる。

時に、やはりくじけることがあるかもしれない。でもCHAIはきらきらと輝いて、私を肯定してくれる言葉とメロディを奏でていてくれるだろう。そしてまた、私は勇気をもらって前を向くのだ。

っていうのを、ずっと書きたかったんです。
やっと書けたぁ。


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スミス
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