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多人数対人ゲームは終焉を迎えつつあるのか
多人数対人ゲームというジャンルは、遊ぶために多くのプレイヤーが必要という本質的な欠点を抱えている。この構造上の問題が「公平なマッチング」を極めて困難にしている。プレイヤーは自分と同じ実力の相手と戦いたいと望むが、その実現は長期的にはほぼ不可能だ。結果として、プレイヤーが求める理想と実際のゲーム体験には大きなギャップが生じる。この時点で、多人数対人ゲームを「公平な遊び場」と期待するのは無理があると言わざるを得ない。
公平性を期待しないスタート地点
プレイヤーだけでなく、開発・運営側も「多人数対人ゲームは公平に遊べるものではない」という認識を持つ必要がある。このジャンルは、マッチングが難しく、不公平が避けられないゲーム構造を持っている。
その中で「勝ち負け」をゲームの中心に据えることは適切ではないかもしれない。確かに、勝敗は分かりやすく、プレイヤーや観戦者にとって直感的な結果をもたらす。しかし、ゲームの目的は「遊んだ人すべてを楽しませる」ことにある。不公平な環境下でそれを達成するには、勝ち負け以外の評価軸をデザインに組み込む必要がある。
不公平を楽しむデザインへ
多人数対人ゲームに求められるのは「不公平や不条理ですら楽しめるゲームデザイン」だ。公平性が確保できないのであれば、むしろその「ハチャメチャさ」や「混沌」を楽しめる仕組みを作るべきだ。分かりやすい例として、Fall Guysやマリオパーティーが挙げられる。これらのゲームは、勝敗にこだわりすぎず、むしろワチャワチャした状況を楽しむ設計がされている。ただし、Fall Guysのようなゲームには「勝っても負けてもどうでもよくなり、飽きやすい」という欠点も見られる。
長期的な楽しさと目標の必要性
多人数対人ゲームを長期にわたって楽しめるものにするには、勝敗に依存しない「ワチャワチャ感」だけでなく、プレイヤーにとって魅力的な目標や達成感を提供する必要がある。例えば、定期的な変化や新たな挑戦を盛り込むことで、プレイヤーが飽きずに続けられる仕組みが求められる。
他ジャンルで言えば、最近のローグライクでは、失敗しても何かしらのロックが外れてプレイアブルキャラが増えたり、次のプレイが有利になる特典が増えたり、積み重ねることによる蓄積や変化が設けられているゲームデザインが増えてきている。長く遊ぶことでプレイヤーに明確なメリットや変化を与える構造になっている。このような発想を多人数対人ゲームでも柔軟に取り入れるべきだろう。
一方で、Apex LegendsやSplatoonのようにレートやランクシステムを採用し、勝敗を重視する多人数対人ゲームは、これからの時代に合わない可能性が高い。これらは「公平なマッチング」を前提とした古い発想に基づいており、現実にはその理想を実現できていない。多人数での競技型ゲームが好きな人もいるだろうが、公平な試合が期待できない以上、大会や競技シーンを見据えたチームの固定化や人脈の重要性の影響が強まる方向性へと進んでしまう。それは本当に「面白いゲーム体験」と呼べるのか。
ジャンルの未来
多人数対人ゲームが抱える問題を真剣に受け止め、課題を克服するデザインへの進化が求められている。不公平さを受け入れ、勝敗に固執しない新たなゲーム体験を提供することが、このジャンルの生存戦略となる。
真に面白い多人数対人ゲームが再び生まれるのはいつになるのか。その未来を楽しみに待ちたい。