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日米で異なるPvP観──Splatoonはどこへ向かうべきか?
はじめに
Splatoon3はうまくいかなかった。理由は、マッチメイキングの不公平な疑いのある仕様や、レート増減の不可解な仕様(最低保証含む)、ステージ設計の問題、そしてそれに伴うバランス調整の難しさなど、多くの問題に直面した。リアルイベントでの脅迫問題が起き、開発者が公の場に出る機会が減少した(ファミ通の2周年記念特集にも開発者インタビューをやらなかったほどだ)。結果、開発とプレイヤーのコミュニケーションが全く成立しなくなった。特にマッチメイキングの問題は深刻であり、結局「マルチプレイヤーPvPは本質的に公平なマッチングが困難で、プレイヤーが求める公平な競争環境を提供することができない」という懸念に至った。
なぜアメリカに注目したのか?
そのため、私はアメリカの視点からこの問題をどう考えるべきかの調査することにした。アメリカではマルチプレイヤーPvPが非常に盛んで、どう向き合っているのか、どう議論されているのかに関心を持ったからだ。翻訳をしながら、アメリカのプレイヤーと意見交換を重ねた結果、驚くべき発見があった。アメリカでは、マルチプレイヤーPvPは気軽に楽しむためのツールとして扱われており、競争の場というよりは、友達と集まり遊ぶ「社交性のあるゴルフ」的な楽しみ方が主流だった。そのため、マッチメイキングの公平性や競技性よりも、カジュアルで楽しい体験が重要視されている。
また、アメリカではゲームの市民権が高く、ライトユーザーが多く、彼らの意見が非常に大きな影響を持っている。逆に、ガチ勢は「おかしい奴」と見なされ、ライトユーザーとの共存が難しくなっている。ガチ勢の理屈や議論よりも、ライトユーザーたちがどう感じるか、どう受け取るかが重視されているのが特徴だ。
日本では、ライトユーザーがあまりゲームのことを発言せず、空気のような存在になっている。そのため、ゲームの議論やコミュニケーションがガチ勢によって主導されているという状況がある。この点がアメリカと日本では大きく異なっており、この違いが現実のゲーム運営にも深刻な影響を与えていることに気づいた。
日本とアメリカのゲーム観の違い
アメリカは、マルチプレイヤーPvPを「社交性のあるゴルフ」として楽しんでいるため、マッチメイキングの公平性や競技性については深刻に問題視されていない。アメリカの市場では、競技的な側面よりも、カジュアルに遊べることが重要とされている。一方、日本では、Splatoonが長期間遊べる対人ゲームとして自己成長を実感したいという側面が強いため、マッチメイキングの公平性や競技環境が非常に重要視されている。
Splatoonが抱えるグローバル戦略の課題
しかし、任天堂がボイスチャットを禁止していることから、アメリカの求める「社交性のあるゴルフ」的な体験を提供することができず、また、日本のガチ勢向けに競技性を強化すると、アメリカのプレイヤーはほぼ完全に切り捨てられ、ガラパゴス化したゲームになる危険がある。また競技性を強化すると、マルチプレイヤーPvPとしての公平性の問題が深刻化し、「そのような環境で競技性を求める意義は何か?」という疑問に突き当たる。
Splatoonの今後はどうなるのか?
現在、Splatoonの進む道は前向きな未来が見えづらく、PvPを重視するのは難しいと感じている。将来的には、PvPを諦めて、既存のプレイヤーを失望させずにCo-op要素に誘導し、ゲームデザインを転換させる方が現実的な選択肢になっている。このように、アメリカの状況を調べることが有意義ではあったものの、Splatoonの現状や今後の進展についての見通しが非常に厳しくなったと感じている。