【オリンピックサッカー】久保の涙

ー90分を知らせる笛が無情にも鳴った。

うなだれる負けたチームと、メダル獲得を喜ぶ勝ったチーム。

そんな光景はいやというほど観てきたから、たとえ応援しているチームが思うような結果が出なかったとしても、もう特段思うことはない。そう思っていた。

審判の微妙な判定による先制点献上で流れを崩したように見えたが、そもそもこの試合に挑む時点でみんな燃え尽きていたように思う。山王戦のあとあっさり負けた湘北みたいな。

そういうときは「全部出し切った結果の敗戦」と感じるものだし、視聴者も含めて結果は抜きにして、よくやったと納得できるものだと思う。だってグループステージ全勝してるチームは日本だけ。世界大会でそれだけでも十分すごいよ。
選手・監督・スタッフ・観客みんな少なからずそう感じると思う。

ーただ一人を除いて

試合終了後、うなだれる日本選手のなか、突っ伏して動けない選手がいた。背番号は「7」。
カメラは、ようやく起き上がった子どものように泣きじゃくる久保選手を映し出していた。自分もこみ上げてくるものがあった。

涙の理由を考察してみた。
久保もきっと、大会中に一定の手応えは感じていたのだと思う。優勝候補のメキシコにグループリーグで勝って、スペインにぎりぎりまで食い下がった。

ただ、そこで少しでも満足してしまって、ふわっと試合に入ってしまった自分が悔しかったのだ。チーム内にもスペイン戦の敗戦を受けてモチベーションの向かう先が不明瞭な空気があったのだと思う。
その空気を変えられなかったこと。自分のプレーで結果を変えられなかったこと。その責任を小さな背中で抱えきれないほど受け止めていた。


どこまで内省的なんだ、小説家かなにかか。
そう感じずにはいられない。
他責にせず、自分の置かれた状況下で最善を尽くすという姿勢が貫かれていて、その姿勢に本当に心を打たれた。20歳でそのメンタリティを持っていることが末恐ろしい。

昔、EUROでクリロナが自国を勝たせられなくて同じように泣いていたのを思い出した。
選手として一流までいけるポテンシャルは、こういうメンタリティに出てくると思う。

普通の人間であれば、燃え尽きた直後は何も考えられない。自分も絶対にそう。
久保の場合、試合終了とともにすでに原因分析をして、自分の行動で変えられたことがあったことに気づき、涙した。そしてインタビューで「こんなに悔しいことはない」と振り絞って話していたのだ。

"W杯は何回も出られる選手がいるが、オリンピックは1度きり。そこに選手としてのピークをもってくることは至難を極める"と、中村俊輔が言っていた。

オリンピック期間、久保を中心にどの選手もいいコンディションを保ってやってきていた。楽しませてもらった。
だからこそ、自責になっている選手を見るのは辛い。

日本のポテンシャルは証明できたと思う。
あと一歩まできているメダル獲得までに必要なピースについては、後日記事にしよう。

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