【現代病】人間関係について
生きていると様々な悩みがある。悩みの根本はすべて人間関係に起因するという話は有名である。
私は人に合わせることが本当に苦手で、会社の新人研修で2週間も会社の施設で缶詰にされたときは苦痛すぎて逃げ出したかった。というか少し逃げた。
その後も、転職や転勤で様々な職場を経験してきたが、いつのときも人間関係には苦労した。気をつかってばかりいてあまりにも疲れてしまうので、あるときから、その原因を考えはじめた。
結局は、「上司に気に入られたい」「同僚に嫌われたくない」「ダサく見られたらどうしよう」といった気持ちが不幸のはじまりなんだと気がついた。それってどれも仕事に関係のないことだな、と。
考えてみれば、神奈川県の片田舎出身の私は、田舎特有の“右にならえ“感にいつも苦しんでいた。人と違うことはそんなにいけないことなのか、みんな同じじゃつまらないし、気持ちが悪いといつも思っていた。
幸い、気の合う友人も何人かはいて、友人たちが東京に出ていたこともあって最近東京に進出した。(本当はナンパをすることが目的であったのは言うまでもない。)
それからは、人に向き合いことは極力せず、仕事に向き合うことにだけ集中するようにした。なぜなら自分は仕事をしに毎日職場に来ているから。
すべきことを最優先にして、職場では私情を捨てた。極端な性格だと自分でも思う。しかし、それでだいぶ楽になったし、仕事もぐいぐい進むようになった。目の前のタスクにだけ集中できるようになり、以前より難しい案件も、こなせるようになった実感が多少はでてきた。
そんな20代を過ぎ、30代を迎えていま思うことは、私情を捨てたやり方には限界があるということだ。私情を捨てるということは、私の解釈としては、「自分のことは自分でやる」ということに近い。だから、人に仕事を振られたり、振ったりすることが上手にできなかった。
生き方そのものはそれで良いと思っている。
大人たるもの、ほしいものがあれば自分でつかみにいけばいいし、気に入らない職場ならスキルを磨いてよりよい条件の職場に転職をかましてやればいい。「いま、この場所・環境に身をおいていること」というのは「自分で選択した結果」以外のなにものでもない。
「自分で選択した数」が幸福度の大きな要因になっているというデータがある。重要なのは、成功した選択をした数、というわけではないということだ。自分で選択したことであれば、失敗しても納得できる。次にどうすればいいかを考えられるのだ。自身の経験として、このデータには大いにうなずける。
しかし、チームで仕事をする以上は話が違う。ある程度までできるようになっても、結局、一人の力はたかがしれている。多くの人を巻き込めたり、知識やスキルをちょっとずつ人から借りながら仕事ができる人のほうが当然成果も大きい。今、私の隣で仕事をしている人はまさにそんな感じ。能力と人柄を併せ持った優秀な人だ。大切なのは、だれから力を借りるか、その選球眼なのかもしれない。
ひとつ解決したと思えば、次の課題が見つかる。だから仕事は面白い。自分自身を成長させながら、次のステップを目指したい。30代も楽しんでいこう。
スキルや感じたこと、おすすめのコンテンツなどがあれば教えていただけると嬉しいです。共感したという方もスキやコメントお気軽にお願いします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
それでは、今日はこのへんで。