スピリチュアル基礎の基礎
私が最初に腑に落としたかった3つ
①エゴ・自我・左脳意識・思考・肉体意識・ネガティブ感情…などは「私」ではなーい!
ずーっと思考でなんとかしようともがいていた。
よくスピリチュアルリーダーさんたちが言ってくれていたことなんだけど。
がっつり左脳と一体化していた私には「そうなんだ~…?」という感じでわかっていなかった。
しかし、ここを腑に落とさないまま進んでいくとイバラの道になる。
ソトの世界からもビシバシされていると感じているのに(現実がツライという受け取り方をしている)、さらに自分で自分をビシバシ調教するみたいな感じになる。
自愛できてないじゃん! ビシバシ!
(↑ だから自愛できない自分も受け入れるのが自愛なのに…)
視点を上げないと始まらない。
左脳と「私」との一体化を解除。
自分を観察している視点。
(そこにちゃんと立てると意識が頭から胸のあたりに移る感覚がわかる)
その観念・感情などは「私」のモノではなーい! という自覚を持つ。
↑ ここ最重要!!
上の自覚は何度もすること!
特にネガティブを感じている時ほど。
最初の頃はネガティブに直面するとこれをコロッと忘れて左脳のドラマや左脳のウソに没入してしまうから。
主に左脳で勝手に自動的に流れ発生している電磁波…くらいの認識でバッサリ「私」から引きはがす。
距離をとる。
これは別にエゴちゃんかわいそうでもなんでもない。
逆に「私」がエゴちゃんと一体化しているから過剰にグルグルしちゃってしんどいのだ。
②「私」の本質と地球での目的(ナイところ発進厳禁)
「私」は愛・光である。
「私」の中にはすべてある。
全知全能。
完全無欠。
地球という舞台はそれらをエゴというフィルターを通して欠乏した状態を疑似体験できるところ。
そのフィルターの設定内容は人それぞれ。
そのフィルターを通して欠如を体験するとネガティブを感じることができる。
しかしそのフィルターの向こうの本当のところはすべて愛・光なのだ。
望み・願望のウラには欠乏感がある。
ナイと感じているから望む。
しかしそのナイというのはウソ・まぼろしなので、そのまちがったところから発進してしまうと泥沼である。
このフィルター(制限)というのは地球にいる限り、肉体に入っている限り、いやもしかしたら個という意識があるかぎりかもしれないが、ゼロにはならないと思う。
しかし、なにかしらのエゴのフィルターを通したからこれはネガティブに見えたり感じたりしているが、そのウラには、その真実の姿は愛・光であるんだという自覚と認識を常に持ちたい。
地球では、いったん愛・光である自身を見えなくして・感じなくしてから再発見することで、自身を認識・実感したいんだと思う。
ちなみに「感謝」という感情はエゴのフィルターを見破り乗り越えて自身を認識・再発見できたときの感情だと私は考えている。
これが私かー! という感動。
注意したいのが感情のフタである。
このネガティブは本当は愛・光なんだからよろこびをもって受け入れなきゃと、本当は受け入れてないのに受け入れたフリをして発生しているネガティブ感情にフタをしていると再配達がきます。
エゴを俯瞰・観察する視点からネガティブ感情は見守る。
「ふーん…左脳でネガティブエネルギーが流れてるなあ…」という感じで決してせき止めない。
ふわふわ~っとせき止めず、だけど一体化もしないことで自然と流れていく。
手放し・統合ワーク・クリアリング・リリースなどできる人はしてもよい。
③「今にいる」とは…?
後悔で過去に行ったり心配で未来に行ったりしていては今にいない状態ですよ、というのはわかる。
で? 今にいるにはどうしたらよいのかがいまいちわかっていなかった。
いくつかご提案。
・ハッと気づく
これは後悔や怒り、心配など過去や未来へ意識がとんでいるときに気づくということ。
左脳が勝手に自動的に発している電磁場と一体化してしまっていたと気づき、一体化していたそれらを観察する位置へ戻る。
自らの意思で思索することはよい。
・五感を研ぎ澄ます
マグカップを机に置く音
キーボードの感触
木々を見た時にどんな感じがするか
身体の○○に力が入っているなあ
食事の香りや味
湯船につかる時の至福感
…などなど
・所作
ひとつひとつの動作を意識して丁寧に心地よい具合で行う。
ドアを閉める力加減
スマホをやさしく手に取る
歩くときの体の動きを細かく意識
コーヒーを丁寧にそそぐ
…などなど
これらは意識すると大抵自分にとって最適な、一番心地よいポイントというのがあると思うのでそれをねらう感じ。
茶道とかの目的はこういうことかもしれない。
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