河内王朝説
河内王朝説について桃崎祐輔氏の『日本列島における馬具と騎馬文化の受容』P36に簡潔にまとめられているので引用させていただきます。
河内王朝論と馬の渡来
津田左右吉氏は、『古事記及び日本書紀の新研究jにおいて、仲哀以前の天皇は実在性に乏しく、6世紀の帝紀には、応神より後の記事が記されていたと推測した(津田1919)。
その後、江上波夫氏の「騎馬民族征服王朝説」(岡・八幡・江上・石田1949・1958、江上1967)では、前期古墳が呪術的、農耕的性格を示すのに対し、後期古墳は戦闘的、王侯貴族的、北方アジア的、いわゆる騎馬民族的な性格が現れているとし、両者の聞には大転換があるとの見解を根拠に、東北アジア系の騎馬民族が南朝鮮を支配し、やがて弁韓(任那)を基地として北九州に侵入、さらには畿内に進出して大和朝廷を樹立し、日本最初の統一国家を実現したと説いた。
さらに水野祐氏は、仲哀以前を「古王朝」、応神以後を「中王朝」とし、邪馬台国に敗れた狗奴国が東遷して「中王朝」を建てたと考え、血統を異にする三王朝が交替したと説き、①崇神天皇の皇統たる呪教王朝、②仁徳天皇の皇統たる征服王朝、③継体天皇の皇統たる統一王朝は、本来無関係であったものが、律令国家の確立期に一系的擬制がなされたとする。特に応神以後の「中王朝」論は、江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説と当時の古代史研究との整合をはかった「ネオ騎馬民族説」というべきもので、その後の王朝交替論に大きな影響を与え、河内王朝が三輪王朝を征服したとの説も現れた。
井上光貞氏は、応神=ホムタワケについて、名に装飾性がなく、記紀に記された事績が具体的で、朝鮮の史書の記述とも部分的に符合することから確実に実在した最初の天皇とした。また九州の産まれで異母兄弟の麛坂王と忍熊王と戦って畿内に入ったという記述から、応神は本来九州の豪族で、朝鮮出兵を指揮するなかで軍事的に成長して皇位を纂奪し、12代景行天皇の曾孫である仲姫命を娶ることで入婿し王朝を継いだと推測した。先代とされる仲哀や成務は和風諡号が著しく作為的で事績が神話的であるとして実在を疑問視し、後世になって創作されたと考えた(井上光貞1973)。また直木孝次郎氏は、大和を拠点としていた倭王権が応神の代より河内地方に拠点を移していることから、河内の豪族であった応神が新たな王朝を創始したと推測した(直木1990)。
以上は昭和期の河内王権論ですが桃崎氏は塚口義信の王朝交代説を支持されています。
では塚口義信説はどのような説でしょうか。上記著作より引用させていただきます。
*** 塚口義信氏の王朝交替説
4世紀後半の倭王権には主流派(仲哀・香坂王・忍熊王に相当)と反主流派(神功・応神に相当)の二大派閥があり、主流派は百済の辰新王派と親しい関係にあり、朝鮮半島出兵には消極派だが、「熊襲」征討には積極的であったのに対し、反主流派は百済の阿花王派と親しい関係にあり、朝鮮半島出兵に積極的で、かつ日向の西都原の政治集団とも親しい関係にあったと推定する。そして辰斯王権を打倒し阿花王即位に加担した反主流派による内乱が4世紀末に起こり、主流派を打倒し、その結果、倭王権の主導勢力が佐紀政権から極めて軍事色の強い河内政権に替わったと考える。
その政変の時期については、新羅・百済の制圧後に朝鮮半島から帰還し、忍熊王を打倒したとする記紀の伝承を重視するならば、阿花王即位(392年)の直後であった可能性が大きいと推測する。***
興味深い説ですが、これによって何がうまく説明できるのでしょうか。半島に倭国が出兵した経緯が(支持、不支持は別にして)一応説明できています。しかし説明できていないことが多く、また主流派(仲哀・香坂王・忍熊王に相当)と反主流派(神功・応神に相当)の二大派閥の存在は私には信じがたいものです。応神陵の巨大性=応神の超権力が無視されているからです。
私はこの時期の有効仮説としては次のような事項をうまく説明できることが必要だと考えますが、塚本説では説明できていないと思います。
① 375年ごろに百済系の陶質土器が製作され、その流れの中で須恵器が焼き始められ、同じ時期に帯金式甲冑が出現し、ほぼ同じ時期に馬具の出土が認められるという事実をうまく説明できていない(ミチュホ仮説では説明可能)。
② 370年ごろの加羅七国平定と新羅への進攻が説明できていない(ミチュホ仮説では説明可能)。
③ 応神期の直前に出現したと考えられる任那の出現の意味と経緯が説明できていない(ミチュホ仮説では説明可能)。
④ 応神陵、仁徳陵、履中陵が他の古墳を圧倒して巨大になっていることを説明できていない(ミチュホ仮説では説明可能)。
私は仮説というものは「それまで合理的に説明できなかった複数の事象をうまく説明できること」でなければならないと思います。上記のような重要な事実が何一つ説明できていない塚口義信氏の王朝交替説は支持することはできません。
発売中の拙著『真実を求めて 卑弥呼・邪馬台国と初期ヤマト王権』に関連した論を書いていますのでご購読、ご批判よろしくお願いいたします。