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スピン的哀しみのクラシック音楽史(3):メンデルスゾーン バイオリン協奏曲 ホ短調

Felix Mendelssohn's Violin Concerto in E minor, Op. 64
Violin:Shlomo Mintz(シュロモ・ミンツ)
指揮:ズービン・メータ
演奏:イスラエル・フィルハーモニック・オーケストラ

(この記事は スピン的哀しみのクラシック音楽史(2):メンデルスゾーン
交響曲 第4番
 の続きです)

世界の「3大バイオリン協奏曲」と云われたら誰のものを挙げるでしょう?

バッハ・ベートーベン・ブラームス・チャイコフスキー・・・そしてメンデルスゾーン。
(どうせなら「5大バイオリン協奏曲」といわれたほうが楽です。いずれ劣らぬ名曲揃い)

バッハのバイオリン協奏曲は透明で深遠、宇宙観たっぷり。ベートーベンのものは「敬虔な愛の調べ」、ブラームスは「憧憬(あこがれ)の音楽」。

それについては後で書くとして・・・メンデルスゾーンとチャイコフスキーのものは、共に大変に薫り豊かな音楽です。

先の3人と違うのは、社交界の紳士淑女が集まる演奏会で、名演奏家により情緒豊かに超絶技巧を駆使して演奏するために作曲されたもの。

バッハやベートーベン・ブラームスのものが極めて「内省的」であるのに対して、メンデルスゾーンのものは聴衆を意識した「聴かせる音楽」です。

スタートからバイオリンが、ホ短調らしい哀愁たっぷりの、美しい調べを奏でます。管弦楽は伴奏の役割に徹し、邪魔をせず、バイオリンにきちんと呼応しながら、とはいえ、かすかな調べの中で技巧豊かに独自のメロディを詠っています。

バイオリンの技巧と情緒とメロディの美しさ。囁くように伴奏する管弦楽の音の美しさと精緻さは、モーツァルトをも凌いでいるでしょう。

後に、ナチス・ドイツによって全面演奏禁止となったメンデルスゾーンの
音楽の中で、このバイオリン協奏曲だけは、作曲者名を伏せてまで演奏し
続けられた、というのが頷けます。

さて、ここから、旧約聖書っぽい文章になってしまいます。

メンデルスゾーンの曲は当時の一級の演奏家フェルディナンド・ダヴィッド(後のライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団のコンサート・マスター)が弾きました。この人の弟子に、ブラームスがその人のためにバイオリン協奏曲を書いたヨーゼフ・ヨアヒムがいて、ヨアヒムの弟子に、チャイコフスキーがバイオリン協奏曲を捧げたレオポルド・アウアーがいて、アウアーの門下から、かの有名なヤッシャ・ハイフェッツやナタン・ミルンシュテイン等が生まれるのです。

メンデルスゾーンも(チャイコフスキーも)、この華麗なる音楽家の「系譜」の世界にいました。
ある意味、世俗からは隔離され、付き合う人も、王族・貴族・著名人・・・。

天賦の才能と感性、惚れぼれするような顔立ち、格好良い指揮スタイル、
外国への演奏旅行と演奏会、ライプチヒ音楽院の苔むす学舎での作曲法の教授・・・・ほぼ完璧な「ブルジョア」です。

メンデルスゾーンより4年後に生を受けた 同時代人リヒャルト・ワーグナーが住んだ世界は全く違いました。

一言で言えば、労働階級。プロレタリアート(懐かしい言葉ですが)。

なかなか売れず(音楽で食べていけず)、地を這う貧乏生活の中で、ドイツ・
コミューン(初期の共産主義革命運動)に参加。・・・ 失敗 ・・・ 闇に隠れての亡命。・・・ 逃亡生活。

やっと芽が出て、ドイツ帝国専属の音楽家となり、バイエルン王ルートヴィヒ2世の強力な後援を得て1876年に完成したバイロイト祝祭劇場に陣取り、「ゲルマンの神々を殲滅した最強の人類」を讃える、狂気じみた思想家へと、
変貌していきます。

ワーグナーの歩む道の先に見え隠れしていたのは、ピカソの「ゲルニカ」・・・そのものでした。


スピン的哀しみのクラシック音楽史(4):ワルキューレの騎行 - ワーグナー
へ続きます。

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