L.V. ベートーベン:ヴァイオリンと管弦楽のための ロマンス 第2番 OP. 50
ヴァイオリン:ルノー・カプソン
演奏:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
指揮:クルト・マズア
収録:2009年10月9日 At ライプツィヒ・ニコライ教会
当初より、少々政治的な話題から入ってしまいますこと、恐縮です。
「ベルリンの壁の崩壊」につながったと謂われる、1989年10月9日の (旧東ドイツ) ライプツィヒでの「月曜デモ」では、自由と民主化を要求する7万人以上の市民に対し、東ドイツ秘密警察と軍隊の銃口が向けられました。
当時、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でコンサートを指揮した
クルト・マズアは、デモ参加者に非暴力を貫くよう強く呼びかけた一人で、当局に対して、市民への武力行使を控え平和的に解決することを要望するメッセージを発表し、世界から高く評価されました。
その「無血に終わった奇跡の平和革命」と評価された「月曜デモ」から20年後の2009年10月9日、東西ドイツ再統一20周年を祝う記念式典が盛大に行われ、式典には、当時のメルケル首相やケーラー大統領、ザクセン州首相、ライプツィヒ市長らが出席しました。
その記念コンサートに於いて演奏された非常に貴重な映像と音楽で、ベートーベンの「ロマンス」をお届けします。
この曲は、ベートーヴェンが作曲家としての名声を確立していく時期の作品で、モーツアルトとは全く異なる、独自の音楽を形創っていく、ベートーベンらしい、深い思索に満ちた、麗しい作品で、無論、ドイツ民衆にこよなく愛されている曲であります。
ニコライ教会に詰めかけた市民の皆さんが、将にそこに在った祖国分裂という悲劇を思い出しながら、平和をかみしめている表情をなさっていることが、誠に印象的であり、指揮者クルト・マズアさんも万感の想いで指揮台に立っておられるご様子です。
この式典の演奏曲目の作曲家として選ばれたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン( Ludwig van Beethoven )は、1770年12月、末期を迎えていた
神聖ローマ帝国支配下の(現ドイツ)のボンに生を受けました。
時代は、世紀末を迎える、混沌と喧騒の真っ只中。
1770年代から1800年までの30年間といえば、封建制から帝国主義の時代へ、帝政から共和制への時代への大転換が行われる時代です。戦禍が否応なく
民衆に迫る混乱の時代の始まり。
バッハの時代がそうであったように、音楽家が、宮廷を飾る単なる装飾であって、失礼を顧みず形容すれば、風景の単なる一部に過ぎなかった時代は、大きく変わりつつありました。
モーツアルトが演奏会収入や楽譜販売収入の道を模索した時代を経て、歴史上最初に「作曲家は独立した職業・芸術家である」として宣言し、貴族とのパトロン関係を断っていくベートーベンの登場は、時代の当然の要請であったのです。
宮廷歌手であった父親から虐待に近い音楽のスパルタ教育を受け、16歳の時には既に、アルコール依存症となり失職した父に代わって、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦しい日々を過ごしたベートーベン。
厳しい幼少時の鍛錬は、慎重で我慢強く、深い思索を巡らし、常に緊張と節度の中に心身を置く、ベートーベンの生き方と人柄をかたち創りました。
ゲーテや、シラー・ペスタロッチなどの当時の超一級の人物との交流を深め、カントの純粋哲学に傾倒する、深い思索の中で、交響曲第3番に始まる
、ロマン・ロランが謂う「傑作の森」の膨大な作品群を産み出していくのです。
⇒ L.V. ベートーベン:ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調『月光』 へ
参りましょう。
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