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L.V. ベートーベン:ピアノソナタ第17番 ニ短調『テンペスト』OP.32-2

Beethoven piano sonata No.17 Op.31 No.2 'Tempest' in D minor
ピアノ独奏:マリア・ジョアン・ピレシュ(Maria João Pires)
(00:00) - I  : Largo - Allegro
(09:08) - II : Adagio
(16:50) - III: Allegretto
収録:不明

本曲は1802年初頭、ベートーベン32歳の作品。

この作品が書かれた頃、既にベートーベンは聴力を殆ど失いつつあり、音楽家にとって致命的な病と向き合い、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き放ちます。
(「ハイリゲンシュタットの遺書」は、ベートーヴェンが1802年10月6日にハイリゲンシュタットにて、弟カールとヨハンに宛てて書いた手紙です。
日ごとに悪化する難聴への絶望と、芸術家としての運命を全うするために
肉体および精神的な病気を克服したい願望が書かれています。)

その悲壮な「心情」と、
そこから這い上がろうとする並々ならぬ「筆力」と、
暗澹たる想念を振り払いながら突き進もうとする「孤高の精神」を、
是非 感じ取って頂けたらと思います。

大好きな第3楽章を何度も何度も繰り返し聴いてしまいます。

曲は実にドラマティック。
でありながら押さえが利き、統制された精神力を感じさせる分厚い演奏です。BGMとして聞く訳にはいかず、スピーカの前に正座しなおしてしまいます。

私スピンには、曲を聴きながらピアニストの指使いを真似る(リズムや指運びだけですが)癖がありますが、この曲ではそれを止めてしまいます。
とってもついていけないのです。

演奏者の集中した精神からほとばしり出る激しいエネルギー。
それが生み出す「高速の指使い」に呆然とするのみです。

ベートーベンのピアノソナタはどれもそうだと思いますが、
情緒的というよりは思索的。
心象的ですが、生真面目で無骨。
セルフコントロールが効いていて情に流されません。

まるで一冊の小説を一気に読み上げるような緊迫感に浸されてしまいます。

『テンペスト』という「標題」は、弟子のアントン・シンドラーがこの曲と第23番(熱情)の解釈について尋ねた時、ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と言った、ということに由来すると伝わります。
(ベートーベンが書いたわけではないので、標題として適切かどうかという論議には、余り興味はわきません。)

ただ、W. シェークスピア の「テンペスト」の劇中、第4幕 - 第1場の有名な
セリフ、
”We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.”
( 我々は夢と同じ物で作られており、我々の儚い命は眠りと共に終わるのだ )
という有名な言葉を「想起せよ」という意味だったとすれば、
「自分は自殺まで考えたのだ。お前も、人生の儚さについて少しは思いを馳せよ!」という、不出来な弟子シンドラーへの叱責だったのでしょう。

無論「人の命は全能の神により創造され、死して神により救われる」とするキリスト教の教義には真っこう反する意図・思想を内包する言葉です。
教会から「異端者」と誹られる可能性はあるかもしれませんが、ベートーベンは、気にも止めなかった筈。

当時、聴覚不安に悩まされることを除けば、彼の熱烈な興味はアメリカ独立とフランス革命に釘付けであったからです。

さて、雑念を振り払ったベートーベンは、いよいよ1804年から始まる「名作の森」に突入します。

⇒ L.V. Beethoven:交響曲 第3番 変ホ長調『英雄』
  参ります。


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