L.V. ベートーベン:ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調『月光』Op. 27-2
ピアノ演奏:クラウディオ・アラウ
収録:1970年 Germany 演奏時間:17分26秒
クラシック音楽が日本に紹介されたのは、おおよそ明治時代のことですが、その時代の気風であったか、文化人の「気概」であったか、ともかくも
曲に「標題」を付けるのが好きな方々であったようです。
「ベートーベンの交響曲第5番」ではなく「運命」というほうが通りが良いのは日本独特の文化です。
欧米諸国では時折「Fate」という標題を付すケースを見受けますが、付けるなら「Fate」のほうが、ギリシャ・ローマ時代に傾倒したベートーベンらしく感じます。
(どうして「Fate」が似合うのかの理由は、後程、記述します交響曲第5番「運命」の処でご説明します )
この「月光」は欧米でも「Moonlight Sonata」という標題が付される
珍しい事例です。
いずれにしても、どのような経緯で「標題」がつけられたか?は別として、曲を聴き込む上では、非常に邪魔な代物ではあると、常に思います。
(今ふうに言うとマウンティング・・ですね)
さて、モーツアルトの生涯を辿った後、ベートーベンの作品に改めて向かい合うと、曲を形容する「言葉」がかなり違ってくることに気が付きます。
この「月光」でもそうですが、新しい形容の為の言葉が必要になるのです。
例えば、理性、規律、節度、思索、葛藤、緊張、さらには自由・人類愛などが、何度も脳裏をよぎります。
ここには、夜のトバリの中、透明なクリスタルな月の光に包まれながら「生」の何たるかに思いを巡らし、難聴に悩まされながらも、強く生きることを、一歩一歩の歩みの中で確認している、ベートーベンその人がいます。
生きる密度を極限まで高めようとする力強い心情に身を任せ、ピアノの鍵盤を激しく叩く、生命力にあふれる一人の猛烈な「思想家」が居ます。
情動から決意へと、そして昇華へと、進んでいく思考を、見事に描いていると感じるのです。
この曲が書かれた1801年の翌年「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き放って「死」への決意を固める直前の、考えども答えを出せない「逡巡」を、
描いた曲・・・であると思っています。
この曲を献呈された伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディは、練習するには簡単な曲と感じたでしょうが、「思索を音で構成する」のはとてつもなく困難なこと・・・。えらい曲を献呈されてしまわれたものです。
⇒ ピアノソナタ第17番 ニ短調 作品31-2 「テンペスト」へ
行かねばなりませんね。