「レクイエム」という音楽(3)ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45
ソプラノ:クリスティアーネ・カルク
バリトン:ミヒャエル・ナギー
MDR放送合唱団
hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)
指揮:デイヴィッド・ジンマン
収録:2019年 10月 11日 演奏時間:1時間17分28秒
第1曲 悲しんでいる人々は幸いである(マタイ伝5:4、詩篇126:5-6)
第2曲 人は皆草のごとく(ペテロ1:24、ヤコブ書5:7、イザヤ書35:10)
第3曲 主よ、我が終わりと、我が日の数の(詩篇39:4-7、知恵の書3:1)
第4曲 万軍の主よ、あなたの住まいは(詩篇84:1-2、4)
第5曲 このように、あなた方にも今は(ヨハネ伝16:22、シラ書51:27、
イザヤ書66:13)
第6曲 この地上に永遠の都はない(ヘブル書13:14、コリント前15:51-55、
黙示録4:11)
第7曲 今から後、主にあって死ぬ死人は幸いである(黙示録14:13)
通常 レクイエムは、カトリック教会において死者の安息を神に願う典礼音楽でありますので、グレゴリオ聖歌のようなラテン語の祈祷文を歌詞として作曲されてきました。
しかし、本曲の作曲者ブラームスは、プロテスタント信徒であったため、
旧約聖書と新約聖書のドイツ語詩句から、ブラームス自身が選んだものを
歌詞として使用しています。
このことからも、18世紀半ばにして、ようやく民衆はカトリック教会の呪縛から逃れ得ることができていた、ということが明らかでしょう。
ではブラームスは「死者の安息を神に願う」はずのレクイエムに、どのような祈りをこめたのでしょう。
この問いの答えを探すためにブラームスの時代を思い起こさねばなりません。クラシック音楽には作曲家の生きた時代が色濃く影を落としていることに思いを馳せて頂きたいのです。
この曲は1857年頃から書かれ始め、1868年に完成し、翌年1869年初演されました。
(約10年の製作時間を遅筆とみるべきか、いえ、深い懊悩と昇華とみるべきでしょう。)
1800年代のヨーロッパは戦乱と抗争の時代です。ナポレオン戦争やクリミア戦争・・等々。永い封建制度・教会の抑圧を否定する戦いが各地で巻き起こります。
帝国主義国家の専横が始まり、民族主義を唱える革命が起こり、そして、
ファシズムや共産主義の暗い影が、しだいに社会を覆い始めました。悲惨で恐怖の時代です。
(日本でも列強からの侵食を良しとしない革命が起こりました。1868年 明治維新です。)
この時代の混乱は、1914年の第一次世界大戦を、1917年のロシア革命を、最初の帰結として、現代にいたっています。
ブラームスの「ドイツ・レクイエム」は、動乱の時節を生き抜かねばならない、人間の苦悩や儚さ、絶望と忍耐、そして慰めと救いのための「祈り」を表現していると思うのです。
「生者のためのレクイエム」をブラームスは書き上げたと思うのです。
この曲の冒頭の、まるで地から沸き起こるような、深い祈りの音楽。
時代の混迷の中、抗争と殺戮の中、安寧をもとめる人々に向けた、鎮魂の祈りです。
この曲についてのブラームスの言葉が残っています。
「私は喜んでタイトルから『ドイツ』の名を取去り『人間の』と置換えたいと、公言してもいい」
ベートーベンの後継者としてもくされたブラームスの想いは、まことに明らかに、教会へではなく、王侯たちへではなく、苦しむ「民衆」に向けられているのです。
この視点から クラシック音楽に触れて頂きたく思うのです。
この視点によって、クラシック音楽に籠められた作曲家の心底を、
更に深くお感じ頂けると思うのです。
ドイツレクイエム第2曲の歌詞(ドイツ語対訳)が、胸を打ちます。
Denn alles Fleisch es ist wie Gras 人はみな草のごとく
und alle Herrlichkeit des Menschen 人間の光栄はみな
wie des Grases Blumen. 草の花のごとし。
Das Gras ist verdorret 草は枯れ
und die Blume abgefallen. 花は散る。
So seid nun geduldig, lieben Brüder だから今は耐え忍びなさい、愛しい兄弟よ、
bis auf die Zukunft des Herrn. 主の来たるその時まで。
Siehe ein Ackermann wartet ごらんなさい、農夫は待っています
auf die köstliche Frucht der Erde 大地の尊い実りを
und ist geduldig darüber, そして耐え忍んでいます、その上に、
bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen. 朝の雨と夕べの雨を迎えるまで。
Aber des Herrn Wort bleibet in Ewigkeit. しかし主の言葉は残る、永遠に。
Die Erlöseten des Herrn werden wieder kommen 主に救われた人々はふたたび戻り
und gen Zion kommen mit Jauchzen; シオンへと歓呼の声とともに来たらん;
ewige Freude wird über ihrem Haupte sein; 永遠の喜びを頭上にいただき;
Freude und Wonne werden sie ergreifen 喜びと歓喜をつかみとり
und Schmerz und Seufzen wird weg müssen. そして苦悩と嘆息は消え去らん、必ずや
一時間を超える大曲ですが、最初の20分だけでも是非、お聴きになってみてください。
現代に生きる私たちの心に必ずや染み入る調べとお感じ頂けるものと信じております。
参照出典:下記の記事から相当な引用をさせて頂いております。
https://www.kanzaki.com/music/ecrit/ein-deutsches-requiem.html
「クラシック音楽の礎(イシズエ):「レクイエム」という音楽」の稿、了。