W. A. モーツアルト:交響曲 第40番 K. 550 & 第41番 K.551
W. A. モーツアルト:交響曲 第40番 ト短調 K. 550
I. Molto allegro [0:00]
II. Andante [8:27]
III. Menuetto. Allegretto - Trio [16:32]
IV. Allegro assai [21:18]
指揮: カール・ベーム
演奏:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
W. A. モーツアルト:交響曲 第41番 ハ長調 K. 551
I. Allegro vivace [0:00]
II. Andante cantabile [7:40]
III. Menuetto. Allegretto - Trio [15:20]
IV. Molto allegro [20:43]
指揮: カール・ベーム
演奏:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 演奏時間27分07秒
父レオポルドの死(1787年5月28日)のおおよそ1年後、モーツアルトは三つの不思議な交響曲を書き上げます。
1788年6月26日に完成された交響曲第39番 K. 543、7月25日に完成された交響曲 第40番 K.550、そして8月10日に完成された交響曲第41番 K.551です。
三曲ともに誰から創作を依頼されたのか不明です。
もし、本当に無収入で作曲していたとしたら、モーツアルトはどうやって(収入を得て)生きていたのか、まことに不思議です。
モーツアルトの作品年譜を穴の開くほど見入っても、歌劇「ドン・ジョバンニ」の公演収入があったと思われる1787年10月28日以降、ウィーンの豪商プフベルクの依頼で1788年9月27日に書かれた「ディヴェルティメント K. 563」という曲まで、約1年もの間、ほんの数曲の小品のみから作曲による収入があったらしい、という想像しかできません。
さらに1789年6月に至りドイツに仕事を求めて旅をし、プロシャ王ウィルヘルム2世の依頼で 弦楽4重奏曲 第21番 ニ長調 K.575 を献呈し収入を得た記録が年譜に出てくるまで、レオポルドの「死」から2年もの収入空白があります。
モーツアルトは、どうやって生きていたのでしょう。何を心の中に抱えて生きていたのでしょう。
モーツアルトの、一生のこの期間だけが私スピンには、なかなか解明できないのです。
モーツアルトの生きた最後の期間は、ヨーロッパ全体が大混乱の中にありました。
人民は、1517年のルターの「宗教改革」によりバチカン・キリスト教会支配から解き放たれ、次に、1760年代から始まり、現代につながる「産業革命」という技術進歩と、それによる資本主義の勃興は、王侯・貴族の持っていた権力など比べ物にならない「力」を持つことが可能になりました。
そしてフランス革命やアメリカ独立戦争などに代表される「市民革命」により、自由主義を打ち立てていきます。
1789年5月5日に始まり 1799年11月9日に一応の収束を見たとされる「フランス革命」は、封建的な身分制や領主制度を一掃し、人民主権・経済的自由・私的所有の自由など、封建制度を排し(王侯・貴族以外の)民衆の人権保障を確立しようとする「戦争」の真っ只中に在りました。
一言でまとめれば、王侯・貴族たちには優雅な音楽やダンスに興じる暇がなくなっていった時代です。
そして、クラシック音楽のみならず種々の「芸術」を評価し、支援し、収入を確保する「構造」が、激変していった時代です。
ベートーベンはこの恩恵を受け、1804年頃、作曲のみを職業とすることを宣言しています。作曲家が職業として民衆に受け入れられ、支えられる時代まで、あと10年ちょっとでした・・
実はモーツアルトはこの「社会とお客の激変」の時代を判っていたのではないか、と思えます。
その代表的な証拠が、王侯・貴族の指示で実施されるわけではない、王侯・貴族のみをお客とするのではない「予約演奏会」の企画です。これは現代風に言えば「コンサート・ツアー」に他なりません。
もう一つは「民衆の為のオペラ」を書こうとしたことです。この代表曲が「魔笛」であります。
してみると、作曲の道をさらに拡大して「事業」にしていこうと心を決める迄の、長い「逡巡」の中で作曲されたのが交響曲第39番・第40番・交響曲第41番 なのだ、としか、筆者には理解できないのです。
然し、その夢が実現するには、あと10年待たねばならなかった。
もし、それもモーツアルトは、判って居たのだとすれば何たる悲劇的な人生
だったのでしょう。
第40番のこのメロディを楽譜に落としながら、彼の脳内に何があったか、無論、誰にも判りません。
第1楽章冒頭から全曲を包む「哀愁のセレナーデ」・・・
第2楽章のフルートが奏でる哀愁を帯びた、焦燥感を滲ませるメロディ
第4楽章の決然とした情熱の濃さ、半音階の転調を繰り返しながら最後へ登り詰めていく緊張感。
ここには、多くの聴く者の心を掴んで離さない、人類普遍の哀愁が、生きることへの葛藤と決意が、明確に表現されています。
第41番は、今まで書かれたことのない曲です。明らかに「神の為の賛歌」ではなく、又、宮廷の為の華美な「歓待音楽」でもありません。
この曲は、人間モーツァルトが「神の楽器」であり続けることに抗いつつも、
また、混乱に満ちた現世を放置している神に反抗しつつも、然し、自らの身体は「神の音楽」を書き続けていることへの不条理さに苦しむモーツアルトが、民衆への賛歌を、並々ならぬ熱意で書き留めたのだと、強く感じざるを得ません。
彼が、父の死という悲劇を乗り越えた先に垣間見た、自らのたどり着きたい世界への「夢」をこめた、希求の作品なのだと思いたい。
シューマンが「ギリシャ風にたゆとうごとき優美さ」と表現した言葉など、なんの説明にもなっていないですし、「優美さ」などでは決してない、と
確信するのです。
しかも、モーツアルトは、この三曲を、オーケストラの演奏で、終に聴かないまま、世を去った。
いつ終わるのか判らない、どうしようもない「悲劇」の中に彼は居続けます。。苦しいことに、彼には、もう少し乗り越えなければならない壁が用意されていました。
⇒ 【音楽】W.A. モーツアルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K. 595 へ参ります。
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