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J.S. バッハ:ヴァイオリン協奏曲 第2番ホ長調 BWV 1042

指揮: ルドルフ・バウムガルトナー
演奏:ルツェルン祝祭合奏団
バイオリン独奏:ジノ・フランチェスカッティ

随分以前のことですが、Amazon に こんなレビューが載っていました。

ここから=====================
感動すると何とかその想いを他人に伝えたくなる。
そして感動を分かち合いたくなる。
しかし、その度に自分のボキャブラリーのなさを恥じるばかりである。
結局「とにかく聴いてみて!!」 という道にはしるのだが…。

他の同曲演奏と比べると、実にゆったりとしたテンポ。
かといって間延びするような事はない。
たとえれば、急いで目的地に向かう特急列車ではなく、
途中下車を楽しむ旅のような。。。
=====================ここまで

この演奏の CD を購入し、聴き惚れてしまい、迷うことなくiPodに
録音した音楽です。

私スピンにも、こんなにも人間的なバッハをはじめて聴き、ガツンと頭を
殴られた記憶があります。

「人間的」というのは誠に曖昧な表現だということは判っているつもりですが、レビューを書いた方と同様、いつまでも自分の表現力の乏しさを恥じるばかりです。

私がこれまで聴いていたバッハのバイオリン協奏曲は 荘重で 絢爛 でした。しかし、この演奏は慈愛に満ち満ちています。
慈しみ愛撫する 人肌の感触を思わせます。

どこかの田舎の夏の終りの夕暮れ。
オレンジ色の夕闇に包まれ、乾いた埃っぽい風が肌をなでていくよう・・

収穫を終えた畑に満ちる 独特の枯れた匂いと 安堵感。
報われることの少ない人生の時を想い、
一杯の濁ったワインを前に、音楽に聞き入る民衆。
身悶えするような高音のビブラートは、夜のしじまへ染み渡っていきます。

粗末なホールの隅で静かに語らう農民たち、
時折あがる笑いさざめきの声、
薄明かりの中でダンスに興じる娘たち。

南仏の居酒屋のランプの明かりの中で、
名もない聴衆のために 旅の楽師が弾いている情景が目に浮かびます。

バッハは、教会のオルガンに向かい、薄暗くて 辛気臭い壁の向こう側に、
無限に広がる 珠玉の世界を見つめていたのだ、と確信させる音楽です。

J. S. バッハは 主に王宮のために、教会のために、そして師弟のために 音楽を書く仕事を続けました。

彼が作曲した「フーガの技法」や「音楽の捧げもの」のような曲を聴いて
いると、教会のオルガンの前に座り、バロック様式の教会の大伽藍の下で、黙々と演奏している 彼の後姿が 眼に浮かびます。

それらは、バロックの様式美を見事に描き出し、権威ある教会を称えた 荘重にして重厚な演奏ではあります。
ですが、決して「人間的」な音楽とは感じられませんでした。

私スピンは、この演奏に出会って始めて、バッハの心が遠くへ旅をしていたことに思い当たりました。
バッハの音楽の世界は、自身の生きた社会や時代を、遥かに超えていたのだと確信するのです。

そう気づかせてくれた独奏者のフランチェスカッティが、遠くドイツから離れた、20世紀の南仏の地で、バッハをこのようにまで優しく暖かい音楽として捉えていた事に深い感動を覚えます。

***フランチェスカッティについて Wikipediaより ***
ジノ・フランチェスカッティ
(Zino Francescatti、1902年8月9日 - 1991年9月17日)
フランスのヴァイオリニスト。
パガニーニの門人カミッロ・シヴォリに学んだヴァイオリニストを父親に、マルセイユに生まれる。
5歳でデビューし、10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏。
パガニーニのスペシャリストとして定評があり、特にパガニーニの「協奏曲 第1番」の録音は、今日でも前代未聞の名演と呼ばれている。
*** ここまで ***


この曲も、現在活躍中の演奏者を選ぶことができませんでした。

クラシック音楽愛好者の一人として、このような演奏を聴かせてくれる演奏者の登場を心から待ち望んでいるスピンであります。


⇒ さて、ここで、少しばかり思索の旅をしてみようと思います。
  J.S.バッハ:フルート・ソナタ 変ホ長調 BWV.1031より「シチリアーノ」
  というメロディを是非、お聴きください。


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