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L.V. ベートーベン:交響曲 第5番 ハ短調 OP. 67

L.V. ベートーベン
交響曲 第5番 ハ短調 作品 67(「運命」という表題で有名な一曲(o^―^o))
指揮:イヴァン・フィッシャー
演奏:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
演奏日時:2019年5月 At : アムステルダム・コンセルトヘボウ
第1楽章: Allegro con brio
第2楽章: Marcia funebre. Adagio assai
第3楽章: Scherzo (Allegro vivace)
第4楽章: Finale (Allegro molto)   演奏時間:35分15秒

日本には「クラシックの中で最も有名な〈運命〉」・・・という書き出しの曲評が、たんまりと有ります。

「運命」という標題は、別にベートーヴェンが言った又は書いた訳ではなく、彼の弟子であったシンドラーという人が「ベートーベンは「運命はさようにして戸を叩く」そう語った」と伝えていることのみに由来します。
しかし、本当にそう語ったのか、どなたも実証できていませんし、日本以外の国では、ほとんど「運命」という表題は用いられません。
ベートーベンがこの曲に籠めた精神性を鑑みると「運命」という個人的な標題をつける筈はない、のです。

それ故、冒頭の「タ・タ・タ・ターン」というメロディが「運命」の来訪であるという解釈は全く無視して、お聴き頂くことをお奨めしております。

さて、交響曲 第5番 も、他のベートーベンの交響曲に負けず、壮大な精神空間を聴く者に想起させてくれます。
他の交響曲との共通したテーマは、形を崩さず、一歩も引かず、朗々と響き渡ります。

千葉フィルハーモニー管弦楽団WEBより以下を引用させて頂きますが、
「ナポレオン戦争とその後の混乱、第二次大戦、
そして21世紀における民族・宗教間の対立の激化。
人間的なものと、非人間的なものの対立が臨界を超えた時、
ベートーヴェンの音楽は常にヒューマニズムの側に立ち、
人種や民族といった境を越えて光りを発する。」
というご指摘は、誠に正鵠を射ていると思うのです。(引用先はこちらです)

さて、本記事にも登場いただく アムステルダム・ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 は、今や世界TOPのオーケストラであると考えております。
各奏者や演奏の技量だけではなく、クラシック芸術の伝達者としての、いろいろな精力的な取組みには 感銘を受けます。

今回は、本曲をお聴き頂きながら、その取り組みの一つをご紹介致したく
存じます。

冒頭映像をご覧いただき、しばらくすると或ることに気が付かれることでしょう。
① 普通、指揮者の右、ステージの右端の壁側に並ぶ コントラバス チーム
  がいません。
  アレ?っと探してみると指揮者正面、管楽器群の後ろに並んでいます。

② 第4楽章冒頭から活躍するはずのトロンボーン部隊も、そういえば
  いません。
  さては、と思って待っておりましたら、第4楽章が始まる直前に、
  コントラバスの後ろに登場してきます。しかも立って演奏しています。

この配置の演奏は、この映像によって初めて体験しました。
これなら、重低音部が、ステージ正面の奥・最上段から、直線的に観客席に突き刺さってきます。素晴らしい配置換えです。
そして多分、世界初の試み!

こういう画期的な実験を沢山してくれること、
各パートは世界有数の技量であること、
世界有数の音響を誇るコンサートホールであること、
そして
毎日曜日には、大変格安なお値段で庶民の為の優れた演奏会を続けている
こと・・・実に素晴らしい楽団です。

演奏終了後、満員の観客がスタンディング・オーベーションにて、拍手喝采を送る映像は、素晴らしく、誠にこのオケに、私スピンは惚れております。

では、

⇒ L.V. ベートーベン:交響曲 第7番 イ長調, Op. 92 へ
  まいりましょう!


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