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A. シェーンベルグ:弦楽六重奏曲「浄められた夜」作品4
Arnold Schoenberg - Verklärte Nacht Op.4
演奏:ピエール・ブーレーズ
アンサンブル・アンテルコンタンポラン
シェーンベルグが書いた「浄められた夜 作品4」は、弊記事「スピン的哀しみのクラシック音楽史(9):グスターヴ・ホルスト 組曲「惑星」」の次に、
お聴き頂きたいものです。
ホルストが示した「何もない世界」に「生きる」ことを務めとされた人々を襲う、耐えがたい狂気と、底知れない虚無。
人々に残され、唯一、示された「為すべきこと」は、
為した暁きに灯るかもしれない「救いの光」を追うこと。
追っても報われるかどうかは判らない。いや、追わなくても、
そこにしか、救われる道がない「哀しみ」と「寂寥」。昏い世界。
この曲は、リヒャルト・デーメルという詩人が書いた、とある月の夜の男と女の、以下のような呟きの詩をモチーフとした曲と伝わります。
月の光の下、女は告白する。
「私のお腹には新しい命が宿っている。
が、それはあなたの子ではない」
男は苦悩に落ちる。が、やがて
「その子を私達の子として育てよう。
共に生きて行こう」と女の手を握る。
エデンの園から追い出されたアダムとイブの、後悔に満ちた会話のように
響きますが、悲劇的にも、既に、神はエデンから遠く離れているのです。
現代の不条理を、胸元に突き付けられる曲です。
≪ アーノルド・シェーンベルグの簡単な履歴 ≫
父シャームエル・シェーンベルク(Sámuel Schönberg 1838年 - 1889年)は代々、ハンガリーのノーグラード県セーチェーニに住むユダヤ人で、靴屋を営んでいた。母パウリーネ・ナーホト(Pauline Náchod 1848年 - 1921年)もボヘミア(現・チェコ)プラハ出身のユダヤ人であった。
ウィーンにて生誕。カトリック教徒として育てられる。
8歳よりヴァイオリンを習い始める。その後チェロを独学で学ぶ。
15歳の時、父が亡くなり、経済的に立ち行かなくなり、地元の銀行に勤め、夜間に音楽の勉強を続けた。
作曲家として作品を発表し始めた頃に、彼の余りにも前衛的な態度に、激怒した聴衆によってウィーンを追い出された。
その後、ベルリン芸術大学の教授に任命される際、プロテスタントに改宗、その後、ナチスのユダヤ政策に反対し1933年、ユダヤ教に再改宗している。
⇒ アルヴォ・ペルト:スターバトマーテル(悲しみの聖母) へ
まいります。