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スピン的哀しみのクラシック音楽史(7):ブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調
指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏:シュトゥットガルト放送交響楽団
録音:1996年 リーダーハレ、シュトゥットガルト
この記事は、 スピン的哀しみのクラシック音楽史(6):ブラームス 交響曲 第1番 の 続きです
さて 司馬遷の「史記」の中、凄まじい殺戮が語られます。
有名な項羽と劉邦の物語の一節。
両雄の戦いは熾烈を極め、秦に立てこもった劉邦を追った項羽軍が、険しい山間部の崖沿いの細い道を前進していた時、劉邦軍が山上から無数の大岩を項羽軍に向けて落とし、項羽軍は崖下に次々に転がり落ち、峡谷には傷ついた兵士達が重なり合い、圧死し、あっという間に項羽は「20万人」の兵卒を失った、というのです。
(・・・確か記憶によると20万人です。2万人ではなく💦)
漢字にして僅か20文字程度で語られる この部分を読んだ時に血の気が引いたのを思い出します。
すさまじい殺戮の様子を呆れるほど少ない字数で表現した司馬遷の筆力に恐れ入ったと同時に、状景の凄まじさについて行けなかったのです。
人類は多くの血を流してきました。項羽と劉邦の戦いも凄いものですが、
最も血塗られた歴史を持つのは多分、まぎれもなく西欧でしょう。
ローマによる地中海支配の途上滅ぼされたのは何十万人なのでしょう?
アイルランドにてゲルマンに殺戮されたケルトの民は何十万人なのでしょう?
思い出すのが嫌になるほどに多くの例証がありますが、最悪の時代は、近代であり、20世紀でした。
1900年前後から姿を現す「帝国主義」と「イデオロギー専制」は、科学の
進歩が故に、一瞬にして数十万の命を失うに到ります。
いえ、「イデオロギー専制」は、長きに渉り、数千万人の精神的死滅を導き続けています。 悲しむべき、暗黒の時代です。
ブルックナー 交響曲 第7番では、第4番で描かれた 緑 溢れる 西欧の風景は豹変し、木枯らしの吹きすさぶ大地と、救いなく立ちすくむ人々を、思い浮べることができます。
第2楽章の 壮大な葬送曲は、あたかも、古き良き時代への、痛ましき告別の音楽です。
第9番 交響曲では、既に緑に包まれた大地はもう何処にも無く、冷たくなった大地の上を進む 軍靴 の音が、逃れようのない勢いで迫り来たります。
凄まじい最強音で、覆いかぶさってくる恐怖の 第2楽章。
失意の中、息を潜ませながら、はかなく消え行く「夢」と「安寧」を見つめる、第3楽章。
これが「近代」でした。
ベートーベンが熱っぽく問いかけた和平は夢と消え、ブラームスの抱いた憧れは、進軍する「体制」という「暴力」の前に破壊されました。
ブルックナーの予感した「恐怖」は、しかしショスタコービッチに受け継がれ、その交響曲により、さらに詳細に描かれていったのだと確信します。
それは、「自由」の終焉でした。
⇒ スピン的哀しみのクラシック音楽史(8):ショスタコービッチ 交響曲
第15番 へ 続きます・・・