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春の季、自殺日和
春です。
やっと暖かくなってきて、春の訪れを感じる日。
別れの切なさを感じさせないほどに、忙しなくすぎる4月の予感。
新しい年度、入学式、入社式。年をとるごとに加速する時間感覚。
世間が否応なく進んでいく感覚に、一抹の不安が生まれ、焦燥感となって私にまとわりつく。
また年度が始まり、1年駆け抜けないといけない不安がある。なんだか、持久走の不安と似ている。
学生時代、冬になると体育が持久走になった。私の学校では、20分間、決められたコースをぐるぐる走るというものだった。それが終わったら記録カードに何周走れたか記録する。
準備体操が終わると、5分ほど準備時間が与えられた。みんな、この時間にジャージを脱いだり、水を飲んだりしていた。12月だか1月に半袖半ズボンは寒かったし、準備時間の減っていくタイマーが、迫り来る持久走を思わせて心臓がドキドキした。
持久走が1度始まってしまえば、20分走りきるしか道がなかったから。
手を抜いて走るという選択は当時の私にはなかった。当時の私は、成績が良くて真面目であることがアイデンティティだった。成績が悪くて怒られたことはないが、「成績は良くなければいけない」と思い込んでいた。
完全に文化部だった私は、体育の成績はいつも5段階中3だった。悪いわけではないけど、頑張っているんだからせめてもう1個くらい上がってくれれてもいいのになと思っていた。運動部の生徒が軽やかに走り活躍するのを見て、羨ましく思ったりもした。
走ってしまえばなんてことない。疲れるけど私は走り切れたし。
また春が始まる。穏やかな気温にゆっくりしていたいのに、寒くなったり暑くなったりせわしなさすぎやしないか。
それから、新しく入ってくる人たちのフレッシュさにも驚く。さわやかで、軽やかで、もうスタートダッシュすることを決めてるみたいな。
みんなが足早に走っていく中、自分だけスタートラインに並ばずにここからドロップアウトしてもいいかな。運ばれていく私をやめて、
ここまで書いて力尽きた。4月1日に出そうと思ってたのに。
やっぱりスタートダッシュじゃない。