あまった素麺を味噌汁に入れてもエモい夏
この前の夏休みに実家に帰った時、ソーメンをお昼ごはんに食べた。
祖母の初盆ということもあり、親戚が集まったものだからその数もすさまじく、調理部隊(というか私の母である)は少ない手数で大量生産可能な、なおかつこの時期たくさんもらって余りがちだからどうせだったらこの際ドバっと消費してくれたら助かるソーメンを導入したのだと思われる。
普段はツマとまだ幼い天使ちゃんの三人暮らしなので、大人数で食べるシチュエーションというのがあまりないため、夏のそんな騒がしい中で食べるソーメンというのもなかなか楽しいものだった。
ネギやシソやミョウガ、はたまたシイタケの煮たのや卵などの具沢山ソーメンも好きだけど、個人的にはひたすらソーメンをめんつゆにザブリといれたものをもりもりと食べるのも好きです。
さて、大量投入大量消費を試みた母であったけれども、結果としてはかなりの量のソーメンが余ることになった。これはソーメンがまずかったわけでもなく、信じられないくらいの量をゆでていたからでもなく、結局は「ソーメンだけっていうのもあれよね…」という考えに達した母がおにぎりを作ったり、ちょっとしたおかずをちょこちょこと出してくれたからなんだけれど、まぁ、いずれにせよソーメンは余る。こういう状況に限らず「ソーメンがまるっとなくなってまだ足りない!」という状況にはなりにくいんじゃないだろうか。
僕はこういう余ったソーメンが大好きだ。といっても、余ったそーめんをまためんつゆにつけて食べるのが好き、というわけではなく、余ったソーメンを具材にして新たな料理を作り出すのが好きだ。
その先方としては沖縄料理の代表的なもののひとつであろう「ソーミンチャンプルー」がある。ソーメン・卵・ツナ缶をベースに炒めたものだけれど、沖縄が生み出したものはどうしてこんなにビールに合うのか!と言いたくなるくらいビールにもってこいの味になる。本場だったらコーレグース(泡盛に唐辛子を漬けた調味料で、とにかく辛い)をかけてわしわしと食べていくのがいいんだろうけれど、なかなか常備しておくのは難しい調味料なのでラー油を代わりにかけて食べるのもよかったりする。あと、マヨネーズも相性がいい。かけすぎると悲惨なことになるので要注意だけれども。
昔大分の大学に資格を取るために短期間通っていたとき、学食のメニューにソーメンサラダというものがあった。スパゲティサラダのスパゲティの部分がそうめんになったものと考えてもらえればいいのだけれど、ハム、キュウリ、カニカマ、玉ねぎなんかが細く切ってあるなかにそうめんが入れられ、それがマヨネーズで和えられている。
文字で書いてしまうとややまずそうに思えるかもしれないけれど、実際に食べてみるとそうめんの細さとスパサラにはないやわらかさがいい感じでご飯のおかずとして機能していた。これも余ったそうめんの使い道として有能な手段の一つだと思う。
でもでも、何よりもおいしい、かつ、お手軽なのは、みそ汁の中に入れてしまうことだろう。
普段は冷たいめんつゆのなかで暮らしているそうめんだけれど、あったかーいおだしと味噌の入ったみそ汁の中でも不思議といい仕事をする。ソーメンは麵自体に塩気もあるので、みそ汁のおかずにもってこいだし、入れるみそ汁に野菜などの具材が入っていれば、そのエキスも吸い込んでますますおいしくなる。
これを食べたくて、スープを作り、これのためにわざわざそうめんをゆでる―つまりはにゅうめんを作るのだけれど、にゅうめんとして作ったあったかいソーメンと、みそ汁に入れた余ったソーメンだとどうも味が違うような気がする。ソーメンのあじが、にゅうめんのほうだとどこかよそよそしい気がするというか、「こんなはずではなかった」という悔しさのようなものが出てしまっている気がする。あまったソーメンで作る、というのが最大のポイントなのかもしれない。
というわけで余ったソーメンはみそ汁に入れて食べた。母は「そんなものわざわざ実家にいる時くらい食べなくても…」と言いたそうではあったけれど、「実家であまったソーメンを入れたみそ汁を食べる」という行為そのものも、なんだかエモくていいのである。
いい夏休みはこういう細部にも宿るのだ。