#4「情けは人のためならず」では誰のため?映画ペイフォワードを観て 2023/04/09
はじめに
Noteの開催中のテーマで、映画にまつわる思い出というイベントがあったので、参加したいと思い、急遽執筆しました。前後しましたが、その後、かぐや姫の物語も書いて、先に投稿しました。かぐや姫の物語はTSUTAYAさんでレンタルしていたので、返却期限があったので先に書いてしまったということです。それでは今回も映画にまつわる思い出をテーマに書きます。よろしくお願いします。
「情けは人のためならず」という言葉がありますが、誰のためなのでしょうか。自分のためなのか、それとも他人のためなのか、それとも社会のためなのか。そんなテーマを考えさせられる映画が「ペイフォワード可能の王国」です。2000年に公開されたこの映画は、私が20代の時に観たものです。その頃の私は、人生が楽しくなってきたと感じていた時期でした。むしろ、ちょっと浮かれていた時期でした。そんな時に観た映画で、この映画の内容は理想論だと感じていました。夢物語で現実はそうじゃないよねっと斜に構えて観ていたのを覚えています。そのように感じた私の成長過程を話しますので良ければお付き合いください。
発達障害(グレーゾーン)の生きづらさ
私は幼少の時より、今で言う発達障害のグレーゾーンにあたる器質でした。ADHDの特徴である多動性・衝動性、ASDの特徴である同一性の保持、感覚過敏、そして二次性のHSPという要素が組み合わさったタイプの、発達障害のグレーゾーンの器質を持っていたのです。それゆえに、非常に生きづらさを感じていました。
小学生の時は、授業を受けることができず、窓の外にモンシロチョウを見かけたら、授業中にも関わらず、教室から飛び出してしまう少年だったのです。交友関係を作るのは下手くそで、数少ない友人と常に一緒にいました。クラスの中では浮いた存在であり、先生も助けてくれることはなく、むしろ一緒にからかわれられていたような感じでした。もちろんいじめられっ子でした。衝動性は高いので常に怒っていましたが、力は弱く、HSPの器質から立ち向かう勇気もなく、想像力にまかせて怒りを我慢していました。
中学生に進級する際に、いじめられっ子であった私をみかねて、引っ越しをしてくれて、幸いながらある程度平和に過ごすことができました。頭が良かったので、成績で上位であったこと、また小学校で学んだ、こういうふうに行動したら仲間外れにならないという立ち振舞を、初対面の学友たちにおこなうことで、自分の立ち位置を確立できたのです。かなり無理はしていました。自分を見せることがとても怖く、トイレにも行けない状態でした。休み時間で、走って家に帰ってトイレをしていたのを覚えています。
高校生ではいじめられっ子復活となりました。進学校にいったために、頭の良さで抜き出ることができなく、学校内ではただ平凡な周囲から浮いている生徒になってしまったのです。中学校で平和だったためか、どのようにしたら周囲をなじめるのかを忘れてしまっていました。また思春期特有のプライドの高さが輪をかけて、自分を孤立に導きました。友達もほとんどなく、ノートをぼろぼろにされたり、机や椅子にたくさんの画鋲をおこれたり、机やノートに厳しいメッセージを書かれたりとつらい時期でした。
学内偏差値29まで下がり、全国偏差値も40前後、センター試験は900点中460点だったのを覚えています。みんなは大学に進学していく中、私はどこも行くところがなく、さまよう3年間を過ごします。夢や希望はあるわけがなく、ただ絶望と怒りの中で過ごしていました。ただ親の示してくれた医師になって欲しいという願いだけが私の道しるべでした。助かったのが、親は受験をあまり知らないため、偏差値を点数と勘違いしていて、医学部は70点あったら通るんでしょ、しんぼうは34点だから、あと30点やんって励ましてくれたのが何故か嬉しかったですね。そのから苦しい数年間を過ごし、運良く医学部に合格することになります。
ちょうど医学部の1~2年次に観た映画が「ペイ・フォワード」でした。先程申しましたが、当初は自分の心にはあまり響かなかったんです。いい映画だなとは思いましたが、こんなん理想論じゃないか、実際は過酷で厳しく、そんな生易しいことをしていたら、人生進まんわって思っていました。しかし、心には常に残っていた映画でした。今回、Noteさんで映画にまつわる思い出というイベントを見た際に、真っ先に思い浮かんだ映画がペイフォワードであったので、もう1回観ることにしました。
映画ペイフォワードについて
ペイフォワードの映画の概略は以下になります。この映画は、ラスベガスに住むアルコール依存症の母親と家庭内暴力を行っていた父親の間に生まれた少年トレバーの物語です。母親はアルコール依存症のシングルマザー(アイリーン)で、父親は家を出てしまっている状況の中で、二人の生活が描かれています。ある日、社会科の宿題で「世界を変えるアイディア」を考える課題を受けたトレバーは、3人の他者を助け、その人にも同じことをしてもらうというアイディアを思いつきます。そして、社会を変えるために、そのアイディアを実践し始めます。
トレバーは、道端で寝ているホームレスを自宅に招いて一緒に食事をすることを最初の善行として行います。トレバーは実践するために、仕事に就かない薬物中毒の男性、教師、いじめられている同級生などを助けようと試みますが、なかなかうまくいかず、プロジェクトが失敗だったのではないかと思い始めます。しかし、トレバーの知らないところで、彼のアイディアがどんどん実践されて社会現象になっていく物語です。
登場人物たちはそれぞれの問題や課題に向き合い、成長や変化を遂げていきます。それはトレバーは、最初「世界はクソだ」と言っていましたが、徐々に変わっていきます。彼らが「ペイ・フォワード」という行為を実践しながら、人間関係の中で成長する姿を見ることで、人間関係の重要性や人間の成長を目の当たりにすることができます。そしてこの映画は心が求める方向性を綺麗に表現しており、感動を覚えます。しかし、当時の私にはちょっと理想的すぎるという印象もありました。自分の力で努力し、勝ち得るものを得ることが大事だという思いが強かった時期だったので、映画のメッセージがあまり響かなかったのです。ただ、映画には少し気になる部分もありました。おそらく、どこかでこの映画が好きだと感じて、心に留めていたのだと思います。
また優れた人間観察もこの映画の秀逸な特徴です。この映画では、人間が人間を助けるという非常に美しい面も描かれている一方で、登場人物たちの複雑で困難な人生や人間の悪意に苦しむ様子も非常にリアルに描写されています。それにより、人間や社会的な問題、人間の本性が描かれていると感じます。例えば、母親のアイリーンが息子のトレバーに「お前は母親失格だ」と言われ、傷ついて反射的にビンタをしてしまう場面があります。それにより、彼女は非常に後悔するのです。私自身も、衝動性が強く、すぐに怒りに任せて行動してしまうことがあります。私の母親からもよく注意されていましたが、どのようにしてその感情を整えて対処していくかは、修行や心の訓練が必要なことだと思います。しかし、訓練次第でどうにかなるのかという話になるんですが、私は徐々に改善しているような気がします。大人になってくると、衝動性もある程度落ち着いてくるでしょうし、薬物療法による調整もありますので、その衝動性で社会や人間関係に軋轢を起こして苦しんでいる人は、心の訓練や薬物治療、そして成長を通じて徐々に改善していくものだと思います。だから、一緒に頑張っていきましょう。そして、トレバーはまだ中学生なので、仕方ないのですが、ボキャブラリーが足りないんですよね。自分の気持ちを表現する言葉が非常に少ないため、つらい感情を表現する言葉がなく、「母親失格」というパワーワードを使ってしまうんです。私は、自分の気持ちや多様さを言葉で表現することが非常に大事だと思っています。それをこの映画は教えてくれます。
論文紹介
映画の素晴らしさと関連して、今日は一つの論文を紹介します。その論文は2008年に発表されたもので、Elizabeth W DunnがScienceという非常に有名な雑誌で発表しました。科学者にとって、サイエンスは憧れの雑誌ですね。漫画でいうとジャンプ、マガジンのようなものです。その論文は、「Spending money on others promotes happiness」というタイトルで、幸福感に関する研究です。
この論文では、他者にお金を使って何か与えることが人々の幸福感にどのように影響しているかを調べることが目的とされています。まず、実験が行われる日の朝、参加者は自分の幸福度を評価します。つまり、自分がどれだけ幸福であるかを評価してもらうのです。参加者はランダムに二つのグループに分けられます。一つのグループは5ドルか20ドルを渡され、当日の午後5時までに自分のためにそのお金を使うように指示されます。もう一つのグループは5ドルか20ドルを渡され、今度は当日の午後5時までに他者へのプレゼントや寄付に使うように指示されます。午後5時以降に参加者を再度集め、自分の幸福度を評価するという研究です。この研究では、お金を使った際に感じる幸福度を予測するために、実験に参加していない人たちにも同様の質問を行いました。予測では、より大きな金額を使った方が幸せになり、また他者のためよりも自分のために使った方が幸せになると考えられていました。皆さんもそう思いませんか?
しかしその結果は、自分のためにお金を使った人よりも、他者のためにお金を使った人の方が平均的に幸福度が高まったのです。そして、他人のためにお金を使う場合、使った金額が5ドルでも20ドルでも大きな違いが見られなかったのです。つまり、金額が大きいほど効果が良いわけではなく、少ない金額でも同じように幸福度が上がったということです。自分にとって5ドルや20ドルといった金額は、日本円に換算するとおおよそ600円から2400円ぐらいです。それを自分のために使ったら、あっという間になくなりますし、そこまで大きなものは買えないですよね。それを他人のために使った場合、その日が幸せになることは、費用対効果が高いと私は思います。
「今だけ・金だけ・自分だけ」
「今だけ・金だけ・自分だけ」という考え方があります。「今だけ」は先のことを全く考えず、目先のことしか見ない刹那的な手法であり、「金だけ」は世の中のすべてを金銭面、経済面だけで評価し、利益にならないものをないがしろにする、「自分だけ」は自分だけが大切で他人への思いやりがなくなったりという考え方です。「今だけ・金だけ・自分だけ」が得だという風潮はありますが、この研究論文からもわかるように、人間はやはり究極的に社会的な生き物であり、人間が幸せになるためには良質な人間関係しかありません。良質な人間関係を作るためには、「今だけ・金だけ・自分だけ」の考え方では良い関係が築けませんよね。そんな人に近づきたくないと感じるでしょう。
まとめ
人間は自分が一番大事であると思うのが普通です。しかし、自分を大切にしすぎると他者が離れていってしまい、結果的に幸せになれないというジレンマが発生します。そのことを覚えておく必要があります。この研究では、人間には他者に貢献したいとする心があり、他者のために動くことが幸福度を上げることが分かりました。それが結果的に自分が幸せになる一つの機能であり、人間にはそれが備わっています。だから、その機能をどのように呼び覚まし、活かしていくかが大切です。
生存欲求を中心にした人間の自分のためにある欲求の中で、どのようにバランスを取り、幸福を追求していくのかが大切なのです。行きたい、食べたい、寝たい、子孫を増やしたい、楽しみたい、怠けたい、人から認められたいという7大欲求の中で、人間は自分のことを中心に生きていくようになっています。しかし、そのことからどれだけ距離を置くことができるかが、幸せになるために非常に大切だということを覚えておいてください。
この映画でも、教師シモネットは、トレバーの母親と恋仲になりますが、なかなかそれが進展せず、むしろ別れる方向に向かってしまいます。それは彼がこれまで自分の感情や行動を管理することに慣れており、そのような安全な環境に自分を置くことに慣れがあったからです。その慣れから離れることができず、関係を終わらせてしまおうとするのです。自分を大切にしすぎると人生において適切な行動が取れなくなり、結果的に幸せになりにくくなるということが、その映画の中でしっかりと表現されています。だから、どうやって自分本位な自分から距離を置くか、他人のために自分の時間やお金といったエネルギーを使うことができるかということを教えてくれる映画です。いろいろ、挫折して人生経験を経て、再び出会い、また観てみると素晴らしく深い映画でした。年をとるものいいことがありますね。
Reference
Reference Elizabeth W Dunn. Spending money on others promotes happiness. Science. 2009 May 29;324(5931) :114.
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上記のお話に加え、慈悲の瞑想と今日の言葉を放送しています。
音声の方が聴きやすい方もおられると思いますので良かったら利用ください。
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