ゴミを再構築して別の名前を付ける

Why ゴミ ?

ゴミの日に収集所にゴミを置いた瞬間、その物が急に自分の管理下から離れてなかったことになる感覚ない?

その物自体はまだそこにあるのに、自分の世界からは見えなくなる。といか、都合の悪いものを見ないようにする感覚に近いような気がする。

循環させたいとか、エコでありたいとか思っているけど、このゴミを自分の世界から外に置く感じがどっかで引っかかってて、でも生きている以上全てに責任を持つことって難しいと思うから、まずはこの気持ちに向き合ってみたいなということで。

What is ゴミ ?

そもそもゴミってなに。

語源

ゴミは、主に農家で「木の葉」を表した言葉で、各地の方言にも「木の葉」を指す言葉として残る。

長野県には、木の葉を「ゴミ」、落ち松葉を「マツゴミ」と呼ぶところがある。愛知方言では落ち松葉を「ゴ」と呼んだり、京都では「ゴを掻く」といった表現もある。ゴミが木の葉以外の意味にも使われ始めたため、「ゴ」と呼ばれるようになったのか、元々ゴミは「ゴ」と呼ばれており、「ゴ」の「実」という意味で「ゴミ」となったのか定かでない。

<語源由来辞典>

木の葉をゴミって呼んでる地域があっても、それが固有名詞としてのオリジナルだと思えたことなかったけど、そもそもこっちが先ということか。木の葉がゴとかゴミとか呼ばれてて、その意味的なところから使用される範囲が広がっていったという。

鎌倉前期の『平家物語』には「水田のごみ深かりける畔(あぜ)の上に」とあり、ドブなどに溜まる泥を指す言葉として使われている。そのため、はじめはドブに溜まるものとして、「木の葉」を意味していたのではないかと推測される。

<語源由来辞典>

鎌倉時代あたりから、ドブに溜まる木の葉をゴミと呼んでいて、その名残ということか。鎌倉幕府の文献平家物語にゴミの記載があるけれども、方言としては鎌倉ではなく長野や愛知などの中部に由来。

幕府とか政治とかそうゆうのが始まる前から木の葉の片付けってありそうだし、中部あたりで呼び始めたのが元々っていうことになりそう。

ゴミが「塵(ちり)」や「土ぼこり」の意味になったのは近世以降で、不要物であるため、その頃から「取るに足りないもの」「役に立たないもの」の意味でも「ゴミ」の語は使われはじめた。

<語源由来辞典>

ここでかなりゴミの定義が今の感覚に近くなる気がするんだけど、なんでそうなったかが推測しにくいんだよなぁ。

近世とは
歴史の時代区分の一つ。日本史で、古代、中世のあとにつづき、近代以前の時期。安土桃山時代、江戸時代をさす。中世にあたる鎌倉・室町時代を前期封建社会と呼ぶのに対して、後期封建社会と呼ぶことがある。広義には近代をも含むことがあるが(徳富蘇峰「近世日本国民史」のように)、狭義の近代と区別することが多い。

<精選版 日本国語大辞典>

鎌倉室町の前期封建社会から、安土桃山江戸の後期封建社会で、何かが一気に変わったんだろうか?

現代のゴミの定義

  • 生活に伴って発生する不要物、社会通念の違いで大きく変化

  • 価値に関わらず所有する意思を放棄したもの

  • ごみと言われるものも突き詰めれば資源

  • 主観により判断されるもの

調べてみるいろんな定義があるけど、とりあえず木の葉っていうのはない。社会が変わればゴミの種類も変わるよねってことだけど、

ほとんどの廃棄物は、廃棄物処理法により所管され、この法律では、「ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であって、固形状又は液状のもの」と定められています。

<東京都環境局 産業廃棄物の種類>

っていうのが現代での具体的に”ゴミ”となっているものたち。(さらに言うと家庭用と事業用で処理方法が違うから、また別の定義もあったりする)

世界で最初のゴミって何だろう

木の葉をゴミって呼んでて、その意味が広義で広まっていって、主観的にいらないなっていうものがゴミって呼ばれ始めたってことだよね。けどネットでちょっと調べた情報で、この時点で正誤怪しいし、これ土台で話進めるのはすごい曖昧になりそうなので、ちょっと考えてみる。

教わったことの復習

歴史の授業で”昔のゴミ箱”って教わってた貝塚。日本だけなのかなって思ったけど、shell moundって英語もあって、どの文明でも同じように堆積しているみたい。

教わったのって、だいたい貝とか骨とか排泄物とか、生活してて活用できないようなものを溜めていってた場所だよね。狩猟民族の時には移動しながら置いていってたから一箇所じゃなかったけど、定住してから、一箇所にまとめるようになって貝塚ができたって話だったと思う。多分。

貝塚の歴史は縄文時代の中期で、約5,000年前からとのこと。

ここまでの定義でいくと、一旦5,000年前くらいの、定住生活を始めたあたりに最初のゴミが出た?

自発的に考えてみる

①貝塚に捨ててたものは”ゴミ”だったのか

これってこの時の社会通念的には”ゴミ”という言葉じゃなかったとしても、扱いとしては今のゴミと同じような感じだったのかな?冒頭で俺の感じている”ごみ収集所に置いて外部化”と同じような。

けど、自分の生活している近くのエリアに溜めて、その経過が目に見えてるんだよね。ベランダのコンポストで生ゴミが分解されていくのを見ているような感じで。こうゆう場合って、ちょっと感覚が今のゴミのそれとはちょっと違うような気がする。

貝塚は、「縄文人のゴミ捨て場だった」と説明されてきました。

しかし研究が進むにつれていろいろな説が出てきました。貝殻だけでなく、人骨や土器などが捨てられているからです。掃き溜め説、物送り場説、聖地説、市場節などなど研究者によって様々な説があります。丸く作られる貝塚の形から縄文時代につくられた環状盛土遺構のようなものではないか、という説もでています。

また貝塚といってもいろいろあり、集落の中につくられて、生活道具や埋葬された人骨などが多く出土するムラ貝塚と海岸線近くの湿地にあり、浜辺で貝の身を取り出す作業場で貝殻以外ほとんど出土しないハマ貝塚があり、それぞれの特徴を持っています。

<加曽利貝塚応援サイト>

いろんな説もあるみたいだし、貝塚の中にゴミもあるけど、ゴミじゃないものもいっぱいあって、あらゆるものが混ざっている場所になっていそう。

②貝塚ができる前にもゴミは出ていそう

生活してて不要なものをゴミとした場合、貝塚として堆積する前の、狩猟民族の移動生活の時にもゴミは出てそうだよね。

この場合って、もう縄文時代とかじゃなくって、人としての歴史の最初にまで遡るよね。そうなると、500万年前に猿人アウストラロピテクスが生まれたあたりからずっと、ゴミというものは存在している?

あれ?この場合って動物もゴミを出すってこと?そうなると植物も?

③言語が生まれた時点がゴミの始まり?

「あぁ、これって要らないものなんだ」って思って道中で置いていったり、一箇所に集めたり、今のゴミと同じような扱いが始まったあたりがゴミの始まりだったのかもしれない。

それが明確になるのって、おそらく言語というもので世の中のいろんなものを定義し始めるタイミングだったと思う。

言語が15万年前から存在するのに対し、残念ながら文字はわずか6,000年前に出現したに過ぎないので、最初の言語についての証拠を見つけることはほとんど不可能です。

ということだから、15万年前に、最初のゴミが生まれたことになるのか?な?言語でカテゴライズ=始まり、とするとあらゆるものの起源がこの時点になるのかな・・と思いつつ、一旦そうゆうことにしておこう。終わらない。

What is acutualy ゴミ ?

マクロに考えてみる

いろんな角度から見てみたけど、今も昔も、主観によりゴミだと判断されたものがゴミ、っていうのがベースになりそう。

ということは、自分の主観が変われば今までゴミだったものがゴミで無くなったり、今まで必要だと思っていたものがゴミと化したりするわけだ。

確かに、後者の感覚はすごいわかる。無性に服とか本とか欲しくなって集めてたけど、ふとした瞬間にこんなにいるんか?欲しかったのは物そのものなのか?と思って手放したくなる。

ミクロに考えてみる

じゃあ一体どの瞬間から、その物をゴミと判断するんだろう?

モノの側からの旅を考えてみよう。原材料から始まって、統合結合して形を変えて何か別のモノになる。その完成したモノに価格がついて取引されて、さらに別のものを組み合わされて別のモノになり、価格がついて消費者に渡る。ここから消費者による消費が始まる。

わかりやすいように、何か一般消費財で例えて話をしてみようと思う。んーなんだろ、〇〇でどうでしょう。

(モノ側のCJ 省略しますw)

そのゴミって減らせるの? 

そもそもゴミの外部化/他責化が嫌だなっていうところからの始まりだったんだけど、同じようなことを思ってゴミを減らそうと先に活動している人たちはたくさんいる。どんな人たちがどうやっているのか、改めてみてみようかな。

カテゴライズしがらみていきたいなと思ったので、Reduce・Reuse・Recycleというゴミの減らし方の枠でカテゴライズしてみる。

Reduce系

  • レジ袋削減

  • マイボトル / マイカトラリー

  • 食品ロス軽減

  • 省資源化

  • 長寿命化

Reuse系

  • リサイクルショップ / セカンドハンドショップ

  • フリーマーケット

  • 古材 / 端材

  • 衣料品の手直し

  • 水の再生

Recycle系

  • 分別回収

  • アップサイクル技術開発

3Rって

上の3つのRに、あとはRefuseとかResearchとかを加えたりして、ゴミを減らすRの活動をするぞって、個人でも団体でも動いてる。

Refuse/Reduceはゴミを発生から減らそうとしてて、Reuse/Recycleは発生してしまったゴミを減らそうとしてる。

①客観的にゴミとカテゴライズされる物を減らす
②主観的にゴミとカテゴライズされる物を減らす
って考えた時の、どこにフォーカスしているかは、個人/団体によって異なってて面白い。

物以外のゴミ

今まで焦点を当ててきたのは、目に見える形の、自覚しやすいゴミ。

でも、たとえばミニマリストが減らそうとしてるのは物質社会/消費社会から発生するノイズっていう見えないゴミだったりするし、環境破壊になってしまう大気や水に出ていく科学的なゴミもある。

このあたりはまた別の回で・・?

”ゴミ”を減らす

ゴミって、自分の意識だった。さぁ、ゴミを減らす解決策を考えてみよう。

自分の範疇で減らす

ここまで来たらこれはなんか見えるよね。

自分の手元にある物を、できる限りゴミだと判断せずにいられるようになればいい。自分が手に入れたものは、自分の範囲でできるだけReuse/Reclycleしたり、それをやってみてわかるどうしてもすぐにゴミになってしまうものはReduceする。

これは取り組んでる人も多い(自分たちも含め)と思うけど、ちょっと疲れちゃうというか、どっかで限界来ちゃう感じあるよね。

なんか「これってやっててどのくらい効果あるんだろう?」っていう気持ちがどっかにはあるっていうのかな。で、この『効果』をちゃんと見ようと思うと、、、

コミュニティの範疇で減らす

自分の主観の範疇では限界が来てしまうものは、自分の属しているコミュニティに範囲を広げて、いろんな主観で物を見て、それがゴミじゃなくなるスパンを長くしていけたり、全体的に物自体を減らしていけるようにしたらいいよね。

これって例えば、自分の手元から手放した後のその物の旅が具体的に想像できていたら(自分の主観が広がっていたら)、それが自分にとっては”ゴミ”になっていない状態で引き継いでいける、循環させていける、ということ。

昔の定住の最初の頃の貝塚の感覚よね。

5,000年前のコミュニティ範疇の感覚で、今の分解/循環技術のある状態で物の旅と向き合っていたら、ゴミってかなり減るよね。ただやっぱり一つのコミュニティだったりそれが位置する自然にも、分解/循環スピードに限界はあるから、コミュニティサイズに合わせた物量っていうものも理解する必要がある。

君の名は

では、ゴミとは一体何者、いや何物になり得たのか。

現代社会のゴミは、主観を変え存在範囲を広げ時間軸を伸ばせば、ゴミではなくなるものが多数。ゴミor資源の二元論になっている感じがあるけど、もっと想像しやすい段階別の名前があってもいいよね。

捨てるんじゃなく、送り状をつけて贈る感覚で自分から離れるものを扱ってみるのってどうだろう。贈り物の集積場をつくって、そこに自分からは他の人たちへの贈り物を置きに行って、自分のところに来ている贈り物を受け取って帰る。それでもダメなものは、他のコミュニティや自然へ贈る。

ゴミ君、君は実はギフトだったんだね。

ゴミ収集所に置くたびに、いってらっしゃいっていうことにするよ。そして、ギフトだと思ってもっと綺麗にしたり分別したりするよ。

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