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古民家再生はじめました ~石積みの古い井戸を残す~

お盆で工事もお休みなので、今日は敷地内に残された古い井戸の話。それは細長い敷地の真ん中あたりにある。鉄板で蓋されていたので、これまで中をのぞいたことはなかったのだけれど、解体工事のついでにオンラインで見せてもらうことができた。動画からの切り出し画像は見えづらいけれど、丸い石積みの井戸の底に、まだちゃんと水があるのがわかる。

以前の持ち主がここで暮らしておられた頃は生活用水として井戸水を使っていたそうで、思い出深いものだとのこと。でも、私たちが移り住むにあたって、居住に必要なスペース確保のためには増築が必要で、位置的に古井戸はちょっと邪魔だった。そもそも敷地内には古い水路まで通っていて、その石積み保存など、他にも制約が沢山ある。

「これって埋めちゃっていいんですかね?」なんて、購入前のワタシは気軽に質問した。不動産屋さんは一瞬黙ったあと「できますよ。ちょっと拝んでもらったりすればね。」と軽く答えてくれた。購入にあたって、古民家再生の経験豊富な建築士さんにも相談してみた。彼女の反応は「埋めたいというなら、出来ないことはないけれど…。」という、歯切れの悪いものだった。

…そうだよなあ。井戸には神さまが居るんだよなあ。その神さまが、ずっとここを守ってくれていたのかもしれないしなあ。あれこれ調べてみるうちに、ワタシはなんとなく残せるものなら残したい気持になっていった。

狭い間口に、水路を挟んで細長く伸びた敷地のまんなかにある古井戸。その周囲を中庭風にするといい感じに辻褄があうと気づき、残す計画で進めることにした。そして、初めて(オンラインで)井戸の中をのぞいた時に、埋めることにしなくて良かった!となぜか強く思ったのだった。

ずっとロジック重視の仕事をしてきたせいで、何事も裏付けデータに基づく合理的な判断をしようとしがちなワタシ。ただ、この度の人生大転換にあたっては、最終決断を直感的なものに委ねる場面がとても多いと感じている。

もちろん、情報収集と分析は、もう習性のようなものなので、無意識に実行してしまう。けれども、会社員生活で思い知っているとおり、情報分析をどれほど緻密に行っても、分析結果と意思決定とは別物なのだ。組織の意思決定だけでなく、個人として心を決めるときも実はおんなじだ。だから、本当に大切な決心をするとき、「ご縁を感じる」とか、「何となく嫌だな」というような感覚を無視すると、たいてい後悔することになる。

というわけで、残したい!という気持ちがなぜかムクムク湧き上がってきた古井戸の神さまは、これからず~っと我が家を守ってくれる存在になる、と思うのである。



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