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セーラー戦士を閉じ込める「わたしたち」/『with』8月号

講談社の女性誌『with』8月号に反応する人は多いでしょう。『美少女戦士セーラームーン』の原画を使った表紙のほか、作品とコラボしたコンテンツも掲載。注目の綴じ込み付録は、セーラームーン仕様の婚姻届です。この企画に意を唱える前に、読んでほしいレビューです。

ちなみに、『with』は主に20代女性を読者層とする情報誌で、タグラインは「恋も仕事も わたしらしく」という現実志向。カルチャー誌のような作品の取り上げ方はしていません。観念的なことではなく、読者の「what」や「how」に応えるべく、現実に惹きつけた展開です。

幸せのかたちとは?

下記の「最新号のお知らせ」に寄せた編集長の言葉の通りに、その目論見が明かされています。本誌を貫くのは、気持ちのいいほどの前進志向。コロナ禍においてもセーラー戦士のように「誰かを愛し思いやる気持ち、決して諦めない強い心」を持ち続けて幸せになる!という意志が貫かれているのです。

巻頭の第一特集は「今改めて考える、幸せのかたち。」です。セーラー戦士を苦しい現実を乗り越えるポジティブなパワーの源として取り上げ、『美少女戦士セーラームーン』原作のセリフやキャラクターをピックアップしています。作品紹介のみならず、数々の著名人へのインタビューを通じて、読者のマインドをブラッシュアップしていく展開。

近ごろは、LGBTやPC的な正しさという旗の下での言及が目立つセーラー戦士たち。けれども本誌はそのようなことはなかったかのような編集です。

そのような角度から見ると、ひとつ奇妙なことが見えてきます。さまざまな幸せを提示しながらも、呼び水にする綴じ込み付録が特製の婚姻届ということです。この付録は、実際に婚姻届として使え、ウエディングドレス姿のうさぎと衛(あるいはセレニティとエンディミオン)のイラストが施されています。読者に提供される最終的な幸せの想定が「好きな人との婚姻届」になっているわけです。

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もしかしたら、こう思う人もいるでしょう。【「わたしたち」のセーラムーンが婚姻届に閉じ込められている】と。しかし、これを【正しい/正しくない】と斬ることは、目の前の現実から目を逸らしているにすぎません。

なぜなら、多くの人が、それを求めているのは自明の事実だからです。企画を責める前に、ちょっと違う視点を持ってみませんか。新たな景色が見えるかもしれません。

セーラー戦士への眼差し

実は「セーラームーンの婚姻届」は2017年の『with』にも登場しています。その時は、セーラムーン25周年を祝しての付録でした。編集長の言葉にあるように、この企画は好評だったようです。この企画について[毎月編集部にはたくさんのお問い合わせをいただきますが、そのTOP3に常にランクインしている]」とのこと。これはきっと、その通りです。

つまり、かなり多くの人が求めていた。これは紛れのない事実です。「愛のある結婚」を「幸せ」と感じる人は、やはり多い。本誌の他のコンテンツを見ても、「充実した仕事&幸せな結婚にむけて何をすればいいのか」であふれています。

そもそもの話ですが、『美少女戦士セーラームーン』は基本的に、主人公が過酷な運命に立ち向かい、愛する人との生活を手に入れようとするストーリーです。しかもそれは永遠の願いを叶え続け、幸せの中に閉じ込めること。主人公の傍らでは、運命を自らの望んだ使命であると受け入れ、まっとうする喜びを抱く人がいる。それぞれの幸せが地球・宇宙の平和をもたらす。調和された世界。こうした世界観に憧れた人の望むことが「愛する人と結ばれてともに暮らすこと」(もしくはそれを夢想する)であるのは、当然の帰結でしょう。

だから、本誌での『美少女戦士セーラームーン』の登場の仕方はとても自然なこと。異を唱えたとしても、最初から的が外れているのです。そもそも保守的な傾向がある作品を通して、その正しさについて話し始めるのは、そもそも矛盾しています。

さらに、雑誌の主な読者層である20代半ばを中心とした女性たちの多くは、『美少女戦士セーラームーン』の「アニメ」が原体験になっているはずです。編集長も[with世代のみなさまが子供の頃に夢中になって見ていたセーラームーン]と書いています。いや、その世代に限りません。今や、アニメより原作を先に読んだ人など少数派で(ごく一部の世代の『なかよし』読者だけ)、ほぼ世界の全てで、セーラー戦士を「アニメで観る」ことがベースになっています。

多くの人にとって『セーラームーン』は「読まれる」のではなく「見られる」対象として現れています。いわば「アイドル」的な存在なのです。対象を時間の中に閉じ込め、永遠と愛でる享楽。

セーラームーンに夢中になったのは当時の「わたしたち」ばかりではありませんでしたが、それと同様に、後にAKB48やPerfume、ももクロ、もしくは二次元のアイドルに夢中になるのも「男性」ばかりではありませんでした。愛でるための調和的な磁場を強固なものにしたのが『美少女戦士セーラームーン』だったのです。だからこそ、1991年にスタートしたマンガの主人公たちが、2020年にもトレンド誌のカバーガールを飾れるわけです。

やっぱり納得できない人へ

さて、しかしながら。そんな「アイドル」のようになりたいと願うこと。「アイドル」を応援すること。それらは本来、自由なことでしょうか?

これは 当時の「あなた」を呪うための問いではありません。そうではなく、現在の「わたし」として、どう思うのか? それを起点にしてほしいのです。そこから「わたしたち」の問いが生まれるはずです。

もちろん、アニメシリーズにも多様な性愛が描かれています。アニメでは「読まれない」部分はあるにせよ、原作でもアニメでも、彼女たちの華麗な活躍に疑いの余地はありません。

しかし、だからこそ『美少女戦士セーラームーン』という作品に、いろいろな物を背負わせるのは酷なことです。自分の理想を作品に象徴させようとして、ねじれが生じていることが多いのではないでしょうか。

『美少女戦士セーラームーン』はたしかに、歴史的に重要なマンガです。しかし、それまでの少女マンガの価値観を逆転させた作品でしょうか? むしろ、愛の存在を疑わないスタイルは、極めて少女マンガ的であると言えます。それを無視するのは、作品を無視するのと同じことです。

現在の「わたしたち」が「作品が好きだから」という理由で作品の価値をいたずらに改変することは、逆に作品や自身の孤立を生むのではないでしょうか。愛すべき「セーラー戦士」や「わたしたち」にとっても、得策ではありません。

(一番好きなのは「月野うさぎ」ではないから問題ない、という人がいるのなら、それは詭弁だとも付け加えておきます。荒唐無稽なたとえ話ですが、ビートルズ時代のジョン・レノンが好きな人が、ポールが好きではないからという理由でビートルズの音楽を聴かなかったら、おかしい話です)

もしも「わたしたち」が変わったのであれば、その象徴は、あの「セーラー戦士」ではないはずです。彼女たちを異次元の世界に閉じ込めているのは、ほかでもない「わたしたち」です。それに気づいたのであれば、そこにあるのは絶望ではありません。「わたしたち」はもうすでに「セーラー戦士」を越えて歩いているのだから。(3000文字)

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香野わたる
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