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三年計画と自分と浦和レッズ #2

  浦和レッズの三年計画を自分なりに振り返っていく感想文です。前回は三年計画が出てくるまでを振り返りました。

  今回は2020年を振り返っていこうと思います。先に言ってしまいますが2020年はなかなか厳しいシーズンでした。
  しかし、三年計画をテーマにしている以上は避けて通ることはできませんし、この一年間を無かったことにするのはなんか今後のことを考えるうえでも良くない気がするのでちゃんと向き合おうと思います。

変革の年 2020シーズン開幕

  変革する年として位置づけられた2020年。

  自分はとてもワクワクしていた、2019年の年末までは。しかし、年が明ける頃にはワクワクしていた気持ちが大きくなっていた分、それがまるまる不安に変わっていたのだ。
  理由は簡単である、選手の入れ替えがほとんど無かったのだ。個人的に興梠選手に続く日本人ストライカーとして期待していたオナイウ阿道選手は横浜F・マリノスに完全移籍し、浦和レッズに戻ってくることは無かったし、山田直輝選手も結局は湘南へと完全移籍が決まってしまった。

  この年の加入選手で即戦力となり得ると思った選手は大分から戻ってきた伊藤涼太郎選手と新潟から移籍してきたレオナルド選手の2人のみだった。新加入選手の会見で現れた選手はこの2人のみであった。もちろん、他に高卒の武田選手もいたのだがこの時はたしか高校の行事の関係で欠席だったと思う。
  そして2人のみの新加入選手の会見。これは変革の年としてはいきなり疑念を抱かざるを得ない光景であった。昨年と同じ監督で、昨年と同じ選手で果たして何が変わるのか。後に契約期間の問題で選手の入れ替えが実現しなかったという理由を知ることにはなるのだが、その当時はそう感じざるを得なかったのだ。

  そして世間では今現在に至るまでなお我々を悩ませるウイルスの話題がポツポツと報じられるようになっていた。

covidの脅威

  いきなり話題を2022年に戻してしまって非常に恐縮ではあるのだが、今シーズンはスーパーカップ後に新型コロナウイルスの感染者が相次いだ事例が発生してしまった。この出来事によって最初の勢いが削がれたのだが、同様の出来事が2020シーズンにもあったのだ。

  J1リーグ第1節 湘南ベルマーレvs浦和レッズ
  数日前にリーグ開幕戦に先駆けて行われたルヴァンカップでベガルタ仙台に大勝した浦和はこの試合、先制され、逆転し、そして追いつかれたところを突き放して2-3で勝利した。

  2月21日のことである。

  ゴールを決めたのは浦和のエース興梠選手、新加入レオナルド選手、今後の浦和を担う関根選手であった。
  浦和レッズサポーターとして、こんなにも嬉しい3人のゴールはないし、自分と同い歳である関根選手が活躍したのだから余計に嬉しくなったのだ。
  このままのいい流れのままリーグを連勝しよう。この時の自分はこう思っていたに違いない。恐らく自分以外のサポーターも、選手も、監督もそう思っていたのだろう。

 しかし、翌週にJリーグ第2節が行われることは無かった。

  新型コロナウイルスにより日本のみならず世界は混乱に陥り、試合どころか練習すら、日常生活すらままならない状態へと変化してしまっていたのだ。
  目に見えない脅威が人々に与える恐怖、影響は凄まじく、Jリーグの再開までには、セミの鳴き声が聞こえてくる7月まで待たなくてはならなかった。

帰ってきたJリーグ

  待望のJリーグ再開、この時の試合内容については正直なところ覚えてはいない。試合の結果は引き分けで、対戦相手は横浜F・マリノスであったことだけは覚えている。しかし、それ以上に記憶に残っていたのは観客のいない異様な光景と普段聞こえてこないピッチ上の声が聞こえてくる新鮮味、それと待ち望んでいたサッカーのある日常にやっと一歩戻ってこれたという気持ちだった。

  この時はあと1年もすれば普通に観客もスタジアムに戻ると思っていた。

仮定の話

  クラブにとってこの新型コロナウイルスが世界的に流行するなんてことは当然予測のしていない事態であるし、その中でも選手達は自主的に自宅でトレーニングを行ったり、クラブもリモートを活用したりと当時の時点で出来ることはやっていたと思う。

  2020年のうちに何度かだが、もしあの時にパンデミックなぞ発生せずに中断期間がなければと思ってしまうことが時々あった。
  「もしも」という仮定の話ではあるのだが、もしも、あの時に中断期間が無く、そのままいい流れのまま第2節に挑めたのならどうなっていたのだろうか。攻守の切り替えの強度、個の力で相手を組み伏せるようなサッカーになっていたのだろうかと思うようになっていた。

  こんな妄想をするようになっていたのは、現実ではそうはならなかったからだ。
  勝ったり負けたりを繰り返してはいるのだが、明らかに中断前に自分を魅せた試合とは様相が異なる。お尻の浮くサッカーにはならなかったのである。

2020年に得られた成果とは

  2020年11月25日、浦和レッズは大槻監督の契約満了をリリースする。この時のリリースには立花社長のコメントに「リーグ優勝に向けたチーム強化3年計画の1年目として、チームコンセプトに沿ったベースを築く重要な役割を担っていた」とある。

  チームコンセプトに沿ったベースとは一体何なのだろうか。個の能力を最大限に活かすというよりも一部の個に頼りきりという印象を受けていたし、情熱的なプレーはシーズン終盤に向かうにつれて見られなくなり、攻守に切れ目ないはずが守備一辺倒になっていることも多かったような気がする。
  もしかしたら自分の記憶違いなのかもしれないけど。

 インターネット上では3枚から4枚に変更するための解体期間、更地に戻す役割、三年計画の0年目などと揶揄されていたのは覚えている。
  正直なところ、このように表現されているのは自分にとってはとても悔しかった。なぜなら、自分たちは積み上げていく作業をしているはずなのに一度ゼロに戻してるかのように指摘されているからだ。
  そして、悔しかった理由はもう1つある。
自分も同じように感じてしまっていたからだ。

  変革の年として定めた2020年、自分には変革を感じ取ることは難しかった。

  今日になっても2020年に浦和レッズは何を成果として得られましたか?と問われたら自分は答えることが出来ないと思うし、それが分かるのはきっとまだ先になるのだと思う。
  ただ一つ言えるのは、たった1年間といえどもそれを決して無駄であったとは言いたくないという事だ。

リカルド監督招聘

  大槻監督の退任が決まってから1ヶ月後、リカルド監督の就任がクラブからリリースされる。
  J2リーグでの優勝を果たし、徳島ヴォルティスの昇格を成し遂げたところを浦和レッズが強奪するような格好となった。お尻の浮くサッカーとして即時奪回、最短距離でゴールを目指すという事に加えて、ボールを保持して主導権を握り、攻撃的にということであった。

  その当時の自分はどうやら戦術家の監督らしいぞ、くらいにしか知らなかったしそれくらいにしか捉えることが出来なかったが。

  そして、リカルド監督の就任が決定したことにより周囲からは2020年を0年目と呼称したり、2021年から真の三年計画が始まるといった雑音が増えるようになってきた。
  これはあまりよろしくないことだと今でも自分は思っている。なぜなら、スタート地点をずらしまうと基準がブレてしまう気がするからだ。それに、今後また何か不都合が生じた際に再びスタートをずらしてしまえばいいやという安易な発想に逃げる理由になってしまう。そんな懸念を抱いて仕方がないのだ。

  次回は2021年、三年計画の二年目でありリカルド監督の一年目である2021年を振り返っていこうと思います。

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