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後悔と妄想の海から出て、落ち着いて考える

人は日々変化、成長してる。
昨日の自分と今日の自分は同じように見えて全然違う。

あの出来事は、あの時のわたしにとっては悦ばしいことなんだと思っていた。いや、思い込ませていたのかもしれない。

でも翌日翌々日となぜかモヤモヤは残った。なぜ?
どんどん掘り下げていくと、いろんなことが明るみになっていった。
いろんな矛盾としてわたしに突き刺さり、涙が止まらなかった。

これもやっぱりわたしが今まで、馬鹿正直に素直すぎて相手の言うことをもろに応えていた弊害が出たのだった。
親の言うことを素直に聞くいい子にならなきゃと、オトナを演じてきた。
裏切るより裏切られたほうがいいと思うくらい、相手に嫌な思いをさせたくない、傷つけたくない一心だった。
その結果、自分をおざなりにして、他人目線で生きてきてしまった。
自分の心より他人の意見を尊重してきてしまった。

「相手を傷つけたくないから」と言うことを聞いていたわけじゃなかった。
「自分が傷つきたくない」から予防線を張っていただけだった。

人間関係はホントに苦手。
いつもがまんして辛いだけ。。。


こんなことをいっても、もう過去に戻ってやり直すことは出来ない。
変えられるのは今からの自分だけ。

まず、「後悔と妄想の海」から一度出て、「今ここ」に自身を戻し落ち着こう。

建設的に、今後どうしたら「本当の自分を出しながらも、対等に楽しい人付き合いができるようになるか」考えてみよう。


(価値観の違う、自分とは違う世界の)相手と話をしている時。
まずだいたい恐れ(傷つきたくない)のため気が動転しているから、自分(の本質)が見えなくなっている。

さらにわたしは感受性が強すぎるので共感力が強い。
相手ワールドに飲み込まれる前に、まず自分の芯を意識する。自分をしっかり持つ。
かんたんに取り込まれたり、主導権を委ねない。

相手に返事をするときは「んー…」と一旦間を置いて"ちゃんと自分目線で考える"こと。

これは人に流されずに自分軸で生きる夫からのアドバイス。


人のことを言うことを全部受け容れる、ということが素直ではない。
わたしはずっと無意識で履き違えていた。

それはただ傷つく怖さから、自ら真に受けにいってしまっていただけ。
こんなことを続けていたら、この世に存在するすべての他人の奴隷になってしまうところだ。

人の意見はまず取捨選択し、自分に取り入れたいと思ったところだけ取り入れればよい。
合わないと思うところは無視すれば良い。
ただその人の価値観であって、自分はその人と性格も生きてきた環境も何もかも違うのだから。
年長者やスゴイ身分や肩書の人間から言われたとしても、受け容れる必要はまったくない。

そもそも。
愛に満たされた人間は、自分の弱さや努力や能力をひけらかしたり、信念(正義ともいうべきか?)を声高にし共感を得ようとなんてしないと思う。

それを聞いて気分良くなる人がいる?
気持ちよくなっているのは本人だけなのでは?
(…ああこれが所謂マウンティングか…と目の当たりにしたわたし。
気づくの遅いわ。笑)


「自分(のポリシー)」を簡単に委ねない。
となると、自分に自信を持つことが重要になってくる。

段階を踏んで、コツコツ練習していこう。
なんでも急には変われない。40年間もこうして生きてきてしまったのだから。
本当はこの部分に努力が必要だったのだ。
遅くはない。生きているうちに気づけただけラッキーだ。

気づきや練習を重ね、変わってゆく過程をここに随時載せていけたらと思う。


◎◎ 目標 ◎◎
・本当の自分を出しながら、対等に楽しい人付き合いができるようになること。
・傷つく恐れを手放し、真の素直さとは何かを腑に落とすこと。
・人の目から脱却し、自信を持ち、やりたいことを自分という人間で表現し生きること。

ご覧下さりありがとうございます。創作作品を通して、人生を愉しみながら自分らしく輝ける、どなたかの歓びに繋がるように還元したいと思います!