ピース
小学生の頃は幸せだった。男女で性差はそれほどなく、男子から受ける視線と女子から受ける視線にそれほど差異はなかった。
中学に入り、小学生の頃と同じように隣の席の男子に声をかけたが、そっけない態度をとられた。この世界の違和感に最初に気づいたのはそんな些細なことだった。
そんな違和感が確信に変わったのは体育の時だった。準備運動の一環で上体反らしをしていたら、周りの男子生徒からの視線に気づいた。男子が私の胸を凝視していたのだ。
性欲。小学生の頃には殆ど気にすることのなかったその生理的欲求の気持ち悪さを感じることとなった。
プールの授業なんかは顕著だった。男子の視線は、私の全身に及んでいた。気持ち悪くて仕方なかった。私は、初回の授業以外は見学することにした。
私は中学の間に何度か告白されたことがある。しかし、どの男子も、みな私の内面や特性に惹かれたわけではなく、外面、もっと言えば胸などの身体的特徴に対して欲情しただけだった。つまり、彼らは性欲と恋愛感情を履き違えているのだ。まあ、最も生物的に性欲と恋愛感情の区別などハナからないのかもしれないが…。なぜそんなことが言えるのかと言うと、大抵の男子は私に告白をするタイミングで目を合わせず、大抵下、もっと言えば胸元に視線をやっていることが多かったからだ。さらに、そうでない者も1人いたが、彼は興奮してか私と話す時、必ず股間が膨らんでいた。私は気持ち悪かった。
そもそもどうして人には男と女があって、有性生殖によって子孫を残すのだろう。勿論、無性生殖に比べてDNAの多様性が確保されるという点で有利なのだろうが、だからと言って男と女に分けなくてもいいだろう。授業で、かたつむりは雌雄同体、つまり雄性生殖器と雌性生殖器を持っていると聞いて驚いた。かたつむりには雄も雌もないのだ。彼らは皆、雄であり雌である。それは一体どのような世界なのだろう。人間も同じように雌雄同体になったとしたらどうだろう。全員が雄の性質を持ち、全員が強い性欲を抱き、あのいやらしい視線を向けるのだろうか。考えただけで吐きそうになった。
ミツバチやヘビといった一部の生き物は処女懐胎、つまり単為生殖を行うことができるらしい。人もそうなればいいのにと心から思った。
修学旅行の時だった。私が何気なく宿泊先の銭湯に入ろうとした時、一人の女子に呼び止められた。
「入るの、やめておいた方がいいよ。」
「え?どうして?」
「男子たちが覗いているらしい。」
こんな令和の時代にもなって覗きなんてあるのか、と一周回って感心しそうになったほどだった。結局、私は部屋のシャワーで済ませることにした。
翌朝、バスに乗ると、学年主任が出てきて男子に対して怒鳴り散らしていた。噂だと、殆ど全ての男子が覗きをやっていたらしい。
気持ち悪い。
彼らは性欲のためなら法を犯すことすらいとわないのだ。現に覗きというのは軽犯罪法や迷惑行為防止条例などで禁止されている。未成年は逮捕されないと考えているのかもしれないが、中学3年生なので全員14歳又は15歳でありしっかりと処罰される。まあ、彼らがそこまで考えているとは思えないが。衝動的にただやっただけ、なのだろう。
果たして捕まるリスクを冒してまで覗きをすることに対して、リスクとリターンが見合っているのかと疑問に思ったが、性欲の前では彼らはリターンに対するリスクの大きさなど関係ないらしい。
実際、時折、会社役員が売春や痴漢で捕まるのをニュースで見る。彼らの年収を考えれば風俗などで済ませることもできるだろうに、衝動的性欲の前では理性など吹き飛ぶのだろうか。
そして、最悪なことに、誰一人として逮捕されることはなかった。学年主任が知っているという事は学校の先生は、少なくともこの修学旅行に来ていた先生は全員知っていたはずなのに、どういうことだろうか。先生というのは生徒に対して、正しい規範を見せ、生徒が悪いことを行ったときには正しく罰する聖人だと思っていた時期があったが、まあそんなの幻想だったようだ。
まあ、男性の先生からいやらしい目で見られることなど日常茶飯事だったし、腰が曲がったふりをして階段を登る時にスカートの中を覗いている先生もいた。また、数学の授業中に胸や性器、性行為と言った話をしてきてセクハラを行っていた男の先生もいた。
私は警戒心が高くて手を出されることこそなかったが、生徒に手を出している者も多いのではないかと思う。そして、内申点や成績、権力(実際には権力などないのだが、それは大人になって分かったことであり、純粋で無知な生徒からすると常に偉そうにしえている先生という存在は何か強い権力を持っているように見えることがしばしばある)を使って口封じなどをしているのではないか。
結局、私は中学3年間で男子の友人と呼べる人間は一人しかいなかった。彼は、見た目はお世辞にも良いとは言えなかったが、唯一性欲を感じさせない人だった。見た目の悪さからか、ルッキズムに侵されたクラスメイトの女子からは見下されていたが、その根の良さからか男子からはいじられキャラとしてそれなりに人気があった。彼は男子と話している時と私に話している時とで態度が全く変わらなかった。そんなところが良かった。逆に、容姿の良い男子はたいてい自信満々であり、何より性欲を隠そうともせず大っぴらにしていたので私はむしろ彼らの方を軽蔑していた。彼とは仲が良かったと言っても、“男子の中で一番”というだけであり、別にお互い学校外で遊んだり、ラインをし合うことはなかった。また、他の男子とは(内心軽蔑しながらも)表面上は親しくしており、何人かの男子からはラインなんかも頻繁に送られてきていたので(私から送ることは決してなかったが)、もしかしたら彼らの方が私とより仲が良いと思われていたかもしれない。
中学卒業後の彼の消息なんかは知るはずもなく、私の唯一の男友達はあっけなくいなくなった。
無論、性欲を持つこと自体悪とするのは難しい。それがなければ人はこんなにも繁栄しなかっただろうし、人だけでない。そもそも生き物それ自体が増えることはなかっただろう。だが、法と科学に守られたこの21世紀において、本能が理性を超えるというのは大罪である。
それができない人は、「ムカついたから」という理由で人を殺す人ということになる。当然、そこまで極端でなくとも、例えば「ムラムラしたから」という理由で人を犯す可能性はかなり高いと言える。
そして、修学旅行の一件で、男性の殆どは本能が上回ることが分かった。
勿論、ごく一部、覗きを行わなかった人がいるとは聞いたが、それはアセクシャル、ホモセクシャルの類で、本当に理性のみで性欲を抑えきれた人はいたのだろうかと疑問に思っている。
そんなことがあり、私は女子高に入ることにした。本当は成績からすると県内一の進学校に行こうとしていたが、やはりどうしても男と関わることが嫌だったし、それにあの修学旅行の一件と、高校になるとさらに性欲が増すという噂を聞いて、高校に入ったらレイプされるのではとの恐怖を親に話したところ、私の意志を尊重してくれた。
しかし、女子高に入れば大丈夫というわけでもなかった。
通学に使う電車の中、痴漢の恐怖があったからだ。
私はできるだけ朝早く起きて、人が少ない時間帯に女性専用車両に乗ることを徹底した。
それでも、帰りの電車なんかでは女性専用車両は用意されていないし、懸念や恐怖が無かったと言えばウソになる。
また、予備校というのも盲点だった。そこには当然、男子がいたのだ。
私はその予備校の中で一番上のクラスにいたため、比較的マシだったとは思うが、男子高校生の性欲というのは知性との関連性はないようで、時折、いやらしい視線を感じることがあった。さらに、そういう男に限って、休み時間なんかに平気な顔して話しかけてくるのだ。
当たり前だが、散々視姦された相手と仲良くするなんてできるはずがなかった。
実は、このような思想は誰にも話したことがない。自分の思想がいくら正しく、絶対的なものであると確信したとしても、所詮は一個人の考えにすぎない上に、倫理観、何を正義とするのかと言った思想というのは時代、国、属するコミュニティに大きく依存する流動的かつ相対的なものにすぎないからだ。にもかかわらず、それを誰かに押し付けたりするのは愚か者のすることだ。
なので、現実世界では当然、SNSなどでも他人に対して意見を言う事などない。ましてや、返信や、他人の発言を引用したりしてそれを大っぴらに批判したり、自分の意見を押し付けるというのは愚者のやることである。それこそオナニー、いや、レイプと言ってもいいかもしれない。理性が本能を抑えきれていないという点においてはあの、覗きをしていた男子や、人目もはばからず私の胸を注視していた男子と本質的には全く変わらない。
だから、こんなことを書くと驚かれるかもしれないが、中学時代以降を含め、私のことを友人の一人だと思っている男子は少なくないようである。当たり前である。私は表面上は、それもかなり深い表面まで、私は“明るくて良い子”を演じてきたからである。
この演じるというのは難しいようで、実は誰もが行っていることなのではないかと思う。人は、社会的な生き物になってからというのもの、常に他者の目に触れてきた。そして、他者の望む行動を要求されてきたのである。これは、仕方のないことである。
アイドルや芸能人が、ファンや視聴者が望むコメントをしている姿を見たことある人は少なくないと思うが、程度の差こそあれ、誰もがこれを行っているのである。
例えば、学校に行った時、話しかけられて無視する人は少ないだろう。逆に、それまで無視してきた人が急に明るく返答することは殆どないと言っていいだろう。これは、自分の意志というのも関係しているが、それ以上に、他者の望む姿を見せようとする意識が働いているからだと私は考える。親だけがいる家での振る舞いと、クラスメイトのいる前での振る舞いと、学校の先生に呼び出されて先生と2人だけの時の振る舞いと、自分の部屋やトイレで一人っきりでいる時の振る舞いと、その全てが寸分違わず同じ人が果たして全世界に何人いるのだろう。
私は、やはりそれは相手の望む姿を見せているから、相手の期待する姿を見せているからだ、と言えると思う。
もしかしたら、それは“社会の望む姿に応えているだけ“と言い換えることができるかもしれないが、社会というのは個人の集団の言い換えであり、そして、個人の集団というのはここでは家族、クラス、そして先生の前での姿は、”先生と生徒などの上下関係はこうあって然るべき“という”国”或いは“地域”という個人の集団を指す。
そんなわけで、高校2年生になった今でも頻繁に中学時代のクラスメイトから男女問わずラインが届く。女子のラインはまあ構わないのだが、男子からのライン、特に遊びに行こうなどという誘いには本当に反吐が出る。
高校2年の夏、そろそろ受験に向けて邁進すべきではないか。何を性欲なんかに支配されているのだろう。そんなのでは何年浪人したところで志望校には受からないだろう。まあ、志望校が遥かに難易度の低い場合は例外として。
予備校の最上位クラスに来ている男子たちでさえ時折性欲の匂いを感じるのだ。ましてや学力のもっと低い大多数の男子たちはどんなに性欲を全面に押し出して生きているのかと思うと気持ち悪くなる。
何を考えているのか、この学校は文化祭に他校の生徒も、本校の生徒からの招待を受ければ客として来れるということで、男子高校生なんかもきていた。私はうんざりしながらも適当にクラスの出し物屋でアイスを売っていた。
すると、見知った顔があった。同じ予備校に通う男子生徒だった。名前こそ覚えてなかったが、成績もクラスで1位2位を争う成績で、何より所謂イケメンだったのでこの学校の生徒にも人気が高かった。そんな彼が私にいきなり告白してきた。大勢の前で、だ。ろくに話したこともないくせに。確かに何回かラインを送りつけてきたことがあったが、その程度だった。一体その程度で私の何を知っているのだろう。少しでも私のことを理解しているのならばこんな公開告白のような真似、絶対しないのだが…。私は、当然断ったが、その場に居づらくなって、とりあえず人のいない所に行こうと、階段を駆け上った。すると、屋上の扉と思しき所の前に来た。
「この学校に屋上なんてあったんだ…。」
私は、見知った学校なのに知らない場所があることに気持ち悪さを覚えたが、人目につかない所はここしかないと思って扉を開けた。
扉を開けると、鼻をつく臭いに気づいた。
「あら。バレちゃったか。とりあえず扉、閉めてくれる?」
そこには、タバコを吸いながら微笑んでいる女性がいた。
「この学校の…生徒ですか?」
「そうだよ。制服、見ればわかるでしょ?」
「そう、ですね。でも、全然見たことなかったから…。」
「まあ、久しぶりに学校来たしね。そしたらこれだよ、男なんかがわんさかいて、逃げ出してたんだけど。そしたら、こんなかわいい子が来てくれて。私は嬉しいよ。」
そう言って彼女は顔を近づけてきた。
「え?え?」
そして、彼女はくちびるを、私のくちびるに近づけた。
私は、その場から動けなかった。
「あれ?嫌がらないんだ。」
「えっ…と…」
「じゃ、するね…」
私は抵抗できなかった…。
彼女が舌を入れてきたとき、口の中に苦味が広がって、思わず私は顔を離していた。
「ごめんね。タバコは嫌いかな?」
私は、心臓が、ドキドキしていた。
彼女は本当に申し訳なさそうに謝ってきた。
「誰彼かまわず、いつもこんなことしてるんですか?」
「いやー。君も私と同類レズビアンかなと思ったから。そうじゃなきゃ、男の子との数少ない出会いの場である文化祭中にこんなところに来ないもんね。」
「私はただ、男の人が嫌いで…。」
「男が嫌い?珍しいね。でもそれって、相対的に女の子が好きってことだよね?」
「そうとも言えるかもしれませんが…。」
「じゃあ同性愛者レズビアンだ。」
そう言って先輩は目を細めて嬉しそうに笑ったから、私は何も言い返せなかった。
「ごめんね。あんまりかわいいからいじわるしちゃった。タバコ、吸う?」
「先輩は、未成年、なんですよね?」
「うん。そうだけど?まあ、法なんてつまらないものに縛られてても仕方ないから、さ。」
「でも、法を守らない人間に、この世界を、生きる資格はないと思います。だって、理性で本能をコントロールできないってことじゃないですか。そんなの、人殺しと本質的には変わりません。」
「極端だねー。でも、私にも理性はあるよ。なかったら、君のこととっくに犯してるよ。」
「・・・!」
私は、恥ずかしいような、複雑な感情に困っていた。
もしかしたら、いやもしかしなくてもこの人はかなりヤバい人だ。少なくとも私がこれまで出会ってきたことのないタイプの人間だった。
「とにかく、タバコは吸いません!」
「真面目だなあ…。」
「かわいい子だったら、だれでもいいんですか?」
「うーん、そうだねえ。君みたいにかわいくて、処女性ヴァジニティの香りがぷんぷんするような子は、特にタイプだね。いつか、君みたいな娘の処女を奪って、私色に染めて、私だけのハーレムを作りたいのさ。」
この人は、まじめな顔をして何を言っているのだろう。。。
「まあ、タバコは吸い終わったし、振られちゃったし、そろそろ帰ろうかな。」
「あ、あの…。また、会えますかね?」
私は何を言っているのだろう。ただ一つ確かなのは、これっきりというのだけは耐えられないほど寂しい気がした。それは自分と同類の人間に初めて出会ったからなのかもしれない。
「あららー。惚れちゃった?そうだねー。ライン、交換しよっか。」
彼女は慣れた手つきでスマホを触り、私たちはラインを交換した。
そこで先輩の名前が藤田幸だと言うことを知った。
私は名前も知らないような人間にファーストキスを奪われたのか、と少し複雑な感情を覚えた。
「じゃあね。」
「はい。」
その夜、先輩からラインが届いた
「やあやあ」
「こんばんは」
「今から会えるかい?」
「え…」
時計は夜の11時半を指していた
「こんな時間から、何するんですか?」
「お楽しみ」
私は親にバレないように窓からこっそり家を抜け出した。
こんな悪いことしたことがなかったため、罪悪感とルールを破る背徳感で胸が締め付けられそうになっていたが、サチ先輩の顔を見たら全て忘れていた。
私たちは歩いて夜の街を歩いた。
見慣れた街だったけれど、深夜ということで殆ど灯りはなく、何か特別な感じがしてワクワクしていた。
「先輩、どこへ行くんですか…。」
「夜は永いから、ゆっくり行こうよ。」
「答えになってないですよ。もしかして、何の計画も無しに私を呼び出したんですか?」
ここは田舎である。駅前でもそこまで栄えてはいないため、こんな時間に営業している店があるかすら疑問だった。
先輩は、まず最初に大型ショッピングモール内にあるゲームセンターへと向かった。
「こんな時間でもやってるんですね。」
「うん。眠れない時は、現実逃避しによく来るんだ。」
「そうなんですね…。」
私たちは音ゲーやシューティングゲームをやったりした。私はゲームセンターに来ること自体殆どなかったため、とても下手なプレイだったと思うけれど、先輩は優しく私をリードしてくれた。
そして、ゲームセンターに併設されているカラオケへと向かった。
先輩は私の知らない曲をたくさん歌った。どれも素敵な曲だった。私が歌う時は、私の方を見て、コールなどを入れて盛り上げてくれて、歌い終わると毎回拍手してくれた。それがなんだかとても嬉しかった。
そして、カラオケもあと30分で終わりの時間となる頃
「あれ?先輩、曲、入れないんですか?」
「ねえ。お昼の続き、しない?」
「それって…どういう意味ですか?」
「キスの続き…」
そう言って先輩は私のことを抱き寄せて、頭を撫でてくれた。
私は抵抗できなかった。
私は男子の抱く劣情に激しい嫌悪感を持ちながらも、先輩からのその眼差しには不思議と嫌な気持ちがしなかったからだ。
先輩は優しく口づけをしてくれた。そして頭をひとしきり撫でた後、激しく舌を絡ませた。私はそれに呼応した。
そして、先輩は私の胸を触った。私は思わず、声が出てしまった。
「嫌だった?」
「いえ、初めてでびっくりしただけです。」
「そっか。かわいいね。」
先輩は愛おしそうなものをみる目で私を見てくれた。それが何より嬉しくて、私はされるがままになった。
先輩は私の服を脱がせ、下着も取り、優しく私の恥部へと指を這わせた。
「すごく濡れてるね。」
恥ずかしくて声も出なかった。
「指、入れるね。」
それから私は初めての快楽に身を委ねた。
プルルルル
気がつくと、退出時間となっていた。
「あらら。もうこんな時間か。」
それから、私は急いで服を着た。
「私ばっかりされて、なんかすみません。」
「いいんだよ。君が気持ちよくなっているのを見て私も嬉しかったからね。」
そうして、私たちは店を出た。空はほのかに明るく、朝と夜の間という感じで、とても不思議な感覚だった。
先輩は家まで送ってくれた。そして、私たちは家の前で強く抱擁した。私はとても幸せだった。
そして、先輩と別れてそっと自分の部屋へと入った。
幸い親はまだ寝ていてバレていないようだった。
そのまま学校へと行き、授業は殆ど寝て過ごした。まあ当然と言えば当然だろう。
先輩へとラインを送ったが、既読がつかず、おそらくまだ寝ているのだろうと思った。
しかし、ラインに既読がつくことは夜になってもなかった。
翌朝、目を覚まして真っ先にラインを開いたが既読はついていなかった。
嫌われてしまったのだろうか。それとも捨てられたのだろうか。複雑な感情を抱いて学校へ行くと、先生たちが何やら忙しなさそうだった。
「えー。3年2組の生徒が亡くなったそうだ。あとで生徒全員で黙祷する。」
私は嫌な予感がした。何かの間違いであってくれと強く願ったが、その願いは叶わなかった。
サチ先輩は私の家を出てすぐ、亡くなっていた。
私は現実を受け入れられなかった。それならばまだやり捨てされていた方が、嫌われていた方がマシだった。これは何かの悪い夢なのではないかと思った。しかし、いくら待ってもこの悪夢から覚めることはなかった。涙は出なかった。私はなんて冷たい女なんだと思った。
葬式はとてもこぢんまりとしたものだった。出棺前に棺を開けて顔を見たら涙が嘘みたいに溢れてきた。あまりに綺麗であの夜と同じ顔をしていたからだ。
葬儀が終わって帰ろうとした時、父親と思われる男性に声をかけられ、私宛への手紙を渡された。彼女の遺書のようだった。そこにはこう書かれていた。
私は生まれてから幸せを感じたことがなかったの。だから、この幸せをどう扱ったらいいか分からなかったの。そして、思ったの。この幸せが永遠になればいいなって。最後までわがままでごめんね。
あまりにわがままだと思ったけれど、サチさんに同情もした。私も彼女同様、生まれてから幸せを感じたことは殆どなかった。それどころか嫌な気持ちになることの方が多かった。だから彼女の気持ちは痛いほどわかった。だけど、先輩と一緒なら幸せに暮らしていけると思ったのに…。わからない。彼女は3年生だし、私なんかよりずっと進路など、未来へと向き合う機会が多かったのだろう。その結果、出た結論がこれだったのだろうから、私に彼女を非難する資格はない。
しかし、残された私はどうしたらいいのだろう。モノクロだった世界に彩りを与えてくれた存在の唐突な消失に私はどのような対処すべきかわからなかった。
確かに一緒にいた時間は短いかもしれない。それでも心は誰よりもつながっていた、そう信じていた。
私のせいで死んだようなものではないかとも思い始めた。私と出会わなかったら、もう少しだけでも長く生きていてくれたかもしれない。それだったら、それだけでよかったのに。わからない。彼女は屋上で何を思っていたのだろう。もしかしたらタバコを吸いながら、校舎や友人に心の中で別れを告げていたのかもしれない。
私はその日の夜、学校へと忍び込み屋上へと向かった。そこで一人で涙を流した。そこに先輩はいないことはわかっていたけれど、いて欲しかった。そんな馬鹿な考えをするくらいには正気を失っていた。私は先輩の吸っていたものと同じ銘柄のタバコに火をつけた。
パッケージの金色の鳥が霞んで見えた。
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