一生消えない傷
トラウマという言葉がある
私にはトラウマがたくさんある
主に小中学生あるいはそれ以前に生み出されたものだ
最近になっても増えている
私の場合一番大きな傷は「気持ち悪い」という言葉である
これを揶揄い半分でよく小中学生の時に同級生に言われていた
高校生になっても言われた記憶がある
別に他人と比べて特段見た目に特徴があったわけではないし、おそらく高校以降は人並みにしかその言葉をかけられたことはないだろう
しかし、その言葉をかけられた記憶は鮮明に覚えているくらいにはトラウマなのだ
一体私の何が気持ち悪いのだろう
私は人並みに美醜の感覚を持っていたつもりだが、その理由は分からなかった
小学生の頃、キムラという男に会うたびによく言われていたのだけは覚えている
そして私はその言葉をかけられるたび、周りからの嘲笑を買っていた気がする
この辺は記憶が鮮明なようで、曖昧なためはっきり言って周りの反応なんて正確には覚えていないが、少なくとも私の印象という記憶の中ではそのようになっている
私はこの言葉が世界で一番嫌いだ
彼自身、私にそんな言葉を投げかけたことは一度だって覚えてないのだろう
それでも私は時折夢に出る程度にこの言葉に傷つけられ、いまだに怯えている
最近になってようやく冗談というのがわかってきたため、私が道化を演じた時にその言葉をかけられてもツッコミの一種だと理解してそこまで深く傷つくことはない
しかし、昨晩、夢の中で友人が、私の容姿を見て第一声、「気持ち悪い」その言葉をかけ、悶絶し、発狂し、深夜に目を覚まし、その友人にわざわざ深夜にラインを送り、私が気持ち悪いかどうかを訊くような滑稽な真似をしてしまった
幸いその友人はルッキズムに侵されていない高潔な人間だったため、朝方、「私は見た目で人を判断するような人間ではない」というラインをくれて、私はそれを見て安堵とともに再び眠りについたのだった
このように、特に私は精神疾患を持っているからだと思うのだが、トラウマというものはなかなか消えないものらしい
そして、私のような脆い人間は、その、跡が外から見えない傷の痛みに深夜、悶え、そして錯乱するのだ
私がどの程度錯乱していたかというと、ラインを送ったと先述したが、そのラインを送るのにも誤字脱字が大半でとても読めたものではないので、送る直前にそれに気づいて全て消して一から描き直すというのを何十、下手したら何百回と繰り返した程であった
結局この言葉が私の中の反ルッキズムの源泉になっているのだと思う
私は他人の容姿を見ても、それとその人の性格や出立ちといった中身の部分まで断定することはない
極論、薄汚い老人と小綺麗な少女を見ても、その性差や年齢差を思うことはあっても中身に本質的な違いを同定するには至らないのだ
だから私はマッチングアプリ、snsの類が苦手なのだ
マッチングアプリはルッキズムの生み出した産業と言っても良い
顔写真を見て、いいねを送ったりスワイプしたりする
ふざけている
かわいいから、かっこいいからなんだというのだ
見た目が優れている以上のことは何もない
しかし彼ら彼女らはバカのひとつ覚えのように顔写真を加工し、必死に写りの良い写真を探し、そして、偽りの顔写真を見てこいつは優れている、劣っていると判断するのだ
まるでそれが唯一の人間の価値判断の基準であるかのように
また、snsも同じだ
TwitterにせよInstagramにせよ、インプレッションの高い投稿というのは大抵万人がかわいい、かっこいいと思う人間の画像であり、ここでも同様に、まるで万人に美しいと思われる存在が絶対的に正しいかのように振る舞われ、取り扱われ、祭り上げられている
私は自分のトラウマという傷を通じて、このルッキズムの異常さに気づくことができて良かったと思う
果たして得られたものより失ったものの方が多いとは思うのだが、それでも暗闇にいた方が真実がよく見えるという事実がわかっただけでも良かったかもしれない
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