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ひとりになりたい/なれない、の狭間で

子ども達が、ちょくちょくお手紙をくれる。何か特別なことに対してではなく、ふと思い立った時にササっとメモ帳や折り紙の裏に「いつもありがとう」「だいすきだよ」って書いて渡してくれる。

子どもは素直で正直だ。思い立ったら、すぐ伝える。

大人の私も見習わないといけないなと、つくづく思う。

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さて、本日のタイトルについて。

noteやブログのような、それなりの長さの文章を書くときは、一人にならないと集中できない。

カフェのような、人がいる場所自体は問題ないのだけど、自分自身に集中できる環境でないと、書けない。

なので、家にいる時は、家族がいない平日の昼間か(私も日中仕事の日もあるので曜日限定)家族が起きてくる前の早朝しかない。

ちなみに夜は、子ども達と一緒に21~22時に寝ている。もうそのリズムは崩せない。勝手に眠くなってしまうから、子ども達が寝た後が私のお楽しみタ・イ・ム ♪…ということはない。

夕方は、子どもの宿題や勉強を見てあげつつ夜ご飯を作り、帰りの遅い夫に代わってキッチンを片付け、お風呂一緒に入ろうって言われるので一緒に入り、お風呂上がればもう寝る時間。

ご飯作る前の数分とか、早めにお風呂入れた日の寝る前の何分かを、書き物の時間になんとか充てている。(でもその時間内では書ききれない)

一人で部屋に篭ることはできないので、リビングとダイニングくらいの距離感で何とか離れつつ、時々足止めされながらやってる。
(お子さんのいる方、一体いつ書いているの??)

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週末はというと、子ども達が小さい頃はそれこそ遊び相手やら身の回りのお世話やらで、自由な時間などほとんどなかった。

とはいえ、子ども達も小学生になり、各々ゲームをしたり好きなことをやっている時間も増えてきたので、このところは「自分が何かをする時間」というのは取れるようになってきた。

だけど。

部屋で一人になって集中してやろうとしても、だいたいその途中途中で子ども達がやってくる。

用はないけれど、何となくやってくる。

夫が部屋でギターやら読書やらで一人篭るときには、誰も行かないのに。

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私は、自分のやりたいことをやりたい気持ちと、そのわがままを突き通して子ども達と過ごせるはずの時間を犠牲にしている罪悪感の中で、常に揺れ動いている。

今しかないこの時間を大事にしたい。だけど、それを優先ばっかりしてたら、モノ書きが全然できない。

(ここまで書くのに、長女1回、次女3回、篭ってる部屋にやってきたw)

書くことに集中したいだけなんだけど、「一人にならないと集中できないから」って言葉にしてしまうと、まるで邪魔だから居ないで、と言ってるみたいになってしまう。これを毎回悶々としている。

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私にとって、一人時間は、すぐに絡まってしまう思考を整えたり、それを整理して書き出したり、とにかくバランスを取るために超重要な時間。

だけど、家族がいる時間に一人時間を取ろうとすると、自分の中に葛藤が湧きあがり過ぎて、それがしんどい

その葛藤と、何年も闘っている。

(この気持ち、誰か共感してくれる人、いませんか?)

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またついさっき、次女がやってきた。

私の前に立って「ママ、いつもありがとう。これプレゼント」と言って、100円を持ってきた。

(これ、リビングにあった夫の美容院代のお釣りじゃないか 笑)

「ありがとう~!ってギューして」というので、ありがとう~~~!と言ってギューしてお布団で包んであげた。そしたら満足したのか、部屋を出て行った。

結局、母親が姿を見せていないというのは、不安になるものなのかな。

そう思いながら、またこうして書いている土曜の午後。

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「一週間の中でどのくらい時間を使えますか?」

これは今、受講中の講座で最初の課題というか自分への問いかけとして出された質問。

私は、うーん、朝が1時間×5日で5時間(週末はウォーキングや映画鑑賞をしたいので除く)、あとは日中使える日が4時間×2日で8時間、あとは平日の夕方の細切れ時間や職場の昼休みなどで合計2~3時間程度、合計15時間程度か…

15時間を全部モノ書きに充てられるわけじゃないけれど、全然時間がない、はウソだな。こうして数値化すると真実が暴かれる。

皆さんはいかがでしょうか?

最後までお読みいただきありがとうございました。

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