何かを選ぶということは
「何かを選ぶということは、何かを捨てること」
この言葉、朝の連続テレビ小説「らんまん」を観ていたら、出てきました。
酒蔵の跡取りである主人公、槙野万太郎が、自身は酒蔵は継がず植物学を志したいが葛藤を捨てきれずにいる様子を見て、祖母タキが背中を押す気持ちで返した言葉です。
何かを選ぶということは、何かを捨てること。
確かに極論はそうかもしれませんね。
ただ、捨てるという言葉は若干追い込む感じがあるので、もう少し柔らかく「諦める」という言葉に置き換えてみるのはいかがでしょうか。
「何かを選ぶということは、何かを諦めるということ」
片付けにおいて、モノを増やし過ぎないようにするためには、残すものを選んでいくことが必要になります。
その時、理由あって選ばれなかったモノたちは、必ずしももういらないとプイっとそっぽを向かれてしまうものばかりではないはず。
それらは、そのモノに対する思い入れを手放せた時、手元から旅立たせることができるのだと思います。
つまり、自分の中でその思い入れをちゃんと納得した上で持ち続けることを諦められる、ということ。
こんなふうに、思い入れを別の見方に転換してみると、いい意味で諦めがつくことが見つかるかもしれません。
片付けのサポートをしたり、自分自身が家で片付けに取り組んできた中で実感していることは、持ち物を減らすほうが結果的に楽になるということです。
家の中のモノが少ないと管理が楽で使いやすく、また、思考の荷物(例えば考え事や悩みや不安など)が少なければ、やりたいことにより集中できます。
ミニマリストが良い、と極端な話をしているのではありません。
よくよく見直してみれば、自分にとって本当に必要なものはそれほど多くなかったりする、ということです。
あまりにもモノが何にもない暮らしは、心の豊かさという側面で考えると寂しさを感じる方もいるかもしれません。どこまで減らすかは各個人の好みでよいと、私は思っています。
ですが、優先順位を付けずに欲しいものを欲しいままに、なんでも手元に留めておこうとすることは、諦められないものを沢山抱えて生きているのと同じことです。
沢山の荷物を抱えたままでは、身軽に動けませんよね。
諦めるとは、決して無理矢理引き剥がすような感情ではなく、自然に「あぁこれでいいよね」って思えた時、自分の中でちゃんと昇華して手放せることなんじゃないかと思っています。
それは、モノに限らず、頭の中でも心の中でも同じ。
ずっと握りしめているもの、ありませんか?
もしかしたら諦めてもいいものかもしれませんよ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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