浅草神社主催の三社祭。大漁を願った浅草民の物語
2年ぶりに浅草神社の月次祭〈つきなみさい〉に参加してきた。この祭事は、浅草神社で毎月行われているもので、月はじめである1日に催すことで締まりのある一カ月にしていこう、というものです。1000円程度の稲穂料を納めれば誰でも参加できるので、気が向いたらぜひに。
浅草は5月になると騒がしくなってくる。江戸時代から続く三社祭が開かれるからだ。三社祭は浅草寺と浅草神社を拠点とし、3日間かけて台東区浅草の全域にて神様を担いでまわる。本社神輿と町内神輿とがあり、浅草神社に奉る3体の神様を本社祭りとして出動する。
もともとは隅田川で開かれる舟渡御と呼ばれるイベントだったのだが、現在は浅草全域での神輿に落ち着いている。というのも、浅草神社の御神紋は「投網」なのだが、「三社」と呼ばれる由縁と、御神紋にまつわる話しが1400年ほど前の浅草での物語に沿ったものとなっている。
檜前浜成命〈ひのくまのはまなりのみこと〉・檜前武成命〈ひのくまのたけなりのみこと〉という漁師が隅田川で漁をしていたところ仏像を引き上げた。物知りな土師真中知命〈はじのまなかちのみこと〉に伺ったところ、聖観音菩薩であることが判明。
漁師の2人は仏像に願いを唱えてから漁に行くと、多くの魚が獲れるようになった。土師氏が僧侶となり寺を建立。そこに聖観音菩薩が奉られた場所こそ浅草寺である。「投網」の御神紋は浅草寺ではなく浅草神社なのだが、腑に落ちるまでの話としてもう1つ存在する。
しばらくすると、土師氏の子孫が新たな神社を建立するのだが、これこそが浅草神社のベースとなる三社権現社だ。時代とともに三社明神社と名前を変え、今では浅草神社という名前で落ち着いている。
浅草神社に投網の御神紋をとりいれ、漁師である檜前兄弟と僧侶の土師氏の三名を御神体として、「三社」の由縁となったのである。このことから三社祭の主催は浅草寺ではなく浅草神社であり、浅草民による大漁への願掛けの物語なのだ。
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