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星野道夫の「旅をする木」は、時間と自分に向き合うことを教えてくれる優しい読み物
旅とは熟成である。向かった先での体験や体感は時間をかけて魂になじみ、しばらくすると何気なく、ただ、どこかへ行きたくなってくるのだ。旅をすることは時間をかけて自分色の欲をつくりあげるといってもいい。
アラスカを拠点に活動していた星野道夫という写真家がいた。彼は写真家であると同時に作家でもあるのだが、「旅をする木」という後世に受け継がれるべき一冊を書き上げている。北極圏での生活をすることについて、自然の中にいながら発信を続けていた人物だ。
この本の素晴らしさは、描写力だ。星野道夫という人間は大自然による体験記を味付けなしの状態で読ませてくれるだけでなく、人が生きるということ、そして人が生きてきた軌跡を静かに教えてくれる。海で自然発生する「渦」のような作品である。
この本の一節に「海流」という話がある。ベーリング海を航行する捕鯨船をはじめ、流氷への座礁などが原因で、強大な船が氷の上に乗り上げてしまう。時間とともに押し寄せる氷で海水は埋まっていき、行き場のない船は「氷上の幽霊船」と捉えられる。
子供が寝るときに聴かせてあげるような物語として取り上げられる話しにも聞こえるが、幽霊は別として、リアルに災難に遭遇し連絡もつかなくなり、北極圏の一部となっていった船がいったいどのくらいあるのだろうか。そんな話しが33節あり、冒険へと連れ出される。
ひとは寄り添う環境に影響を受ける生き物だ。周りに何もない草原のような場所で子供時代を過ごしてきた人からしたら、東京などの首都圏に足を踏み入れると窮屈に感じるだろう。建物が高く空が見えないとか、建物同士の距離が近いため日影も多くなるからだ。
逆に都会の暮らしに慣れすぎている人は、北海道やアメリカに足を踏み入れると「広大」と感じるはずだ。旅行程度のスタンスでたまに行く分には問題ないが、数年単位での移住となると環境に慣れるまではどうしても時間がかかってしまうものだ。
環境に慣れるということ。それは時間を共に過ごすということ。人は何かにつきあった分だけしか理解できない生き物だ。熟成されることで、少しずつ何かが見えてくるしできるようになっていく。コスパ・タイパ重視の世の中だからこそ、時間と自分に向き合いたいものだ。