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【コラム】鎌倉の御霊神社で受け継がれる面掛行列と歴史

毎年9月18日に神奈川県鎌倉市にある御霊神社では例祭が開かれる。窯で煮たてたお湯を使って占いや無病息災を願う祈祷などを「湯立神楽」として披露したり、御霊神社が鎮座する坂ノ下町一帯を練り歩く「面掛行列」が披露される。今回は面掛行列についての話だ。

面掛行列とは、能面をつけた10名が隊列をなして、坂ノ下町一帯を行進するイベントのこと。時代劇や舞台などで垣間見られる天狗のお面や強面の鬼面などの10種類のお面が登場する。通常は御霊神社の宝物庫で保管されており、本物のお面をつけての行進が催される。

10種類のお面は次の通りだ。『爺・鬼・異形・鼻長・烏天狗・翁・火吹男・福禄寿・おかめ・女』この10種類のお面が登場するのだが、主役と伺えるのは9番目の「おかめ」である。おかめは子供を身ごもっているため、お腹が膨らんでいるのだ。

これは、平家を滅ぼし征夷大将軍となり、鎌倉幕府を創設した源頼朝公の一説である。頼朝からの寵愛を受けた娘がいた。その娘の一族は頼朝公に仕える身分となり、外へ出るときはお面をつけて守護した、とある。物騒な刀社会から娘のプライバシーを10種類のお面で守ったのである。

悪輩から目をつけられ、拉致され、身代金を要求されるような事態は避けなければならない。将軍からの命令を受けた娘を含んだ一族は、行列というかたちで隊列をなすことで、実際に襲撃された時に助かるための生存確率の分散をデザインしたのではないだろうか。

北野武が監督を務める『首』という作品では、徳川家康公による天下統一前の描写がある。織田信長による毒物が混入された精進料理での暗殺を回避した徳川家康は、自身を守るために拠点の移動を図る。襲撃の対策として、服装と位置を意図的にずらし、生存確率を上げたのだ。

このような歴史的背景をもつ行列は、星の井通りをメインに行進する。江戸時代から300年以上も続く和菓子屋の力餅屋の脇道から行列が始まり、成就院前で折り返す。しばしまっすぐ進み、星の井通り交差点付近で折り返し、力餅屋の脇道へと戻る、というのが行進ルートだ。

和歌山県の紀州東照宮で開かれる「和歌祭」でもお面を被った「面被〈めんかぶり〉」という行列を観覧できる。徳川家康公の命日である5月17日に近い日曜日に開催されるが、45種類の芸能を披露しながら、和歌浦港に沿って練り歩く。

鎌倉の御霊神社は鎌倉市坂ノ下を開拓した鎌倉権五郎景政を奉る神社だ。整地された現在では住居が簡易になったが、良識ある開拓者がいなければ、建築や舗装ができず、とても生活できるような環境ではなかっただろう。正しき知性と統制があってこそ、人間は集まるのだろう。


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