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【コラム】森敦『意味の変容』|言葉が境界になり、曼荼羅となる

『意味の変容』とは、作家である森敦(もりあつし)が言葉の可能性を広げた書物である。その文体は、読者をただ物語の中へ導くのではなく、言葉そのものが現象として機能している。言葉が境界線となり、内側と外側を生成しながら、曼荼羅を描いていく様子ともいえる。

明確な結論を提示するような書物ではない。「偶話の実現」という章では、森の中での蛇との遭遇、夜の月明かりに輝く葉の描写など、抽象的かつ具体的なイメージが次々と展開される。しかし、それらが何を意味するのか、どんな背景を持つのかは一切説明がない。読者はただ文章を追い、その場その場で感じ取るしかない。

この体験を可能にするのは、森敦が文章を緻密に構成しながらも、言葉をあえて曖昧なままに留めているからだ。読み進めるごとに、読者は「今、自分はどこにいるのか」という感覚を失い、新しいフィールドへと導かれる。その過程で文章そのものが意味を変容させ、読者の解釈もまた変わっていく。

言葉そのものが偶話の構造を模倣しているようでもある。読者はいつの間にか、その偶話の一部となり、言葉が作り出す動的な世界の中で変容を体験する。森敦の言葉は、中心点から外側へ、また中心に戻りながら少しずつずれ、楕円を描きつづけることでできあがる曼荼羅的な構造を持つ。この動きが、読者に意味の固定を許さず、新たな可能性をひらき続ける。

森敦がこのような作品を書き上げるにあたっては、言葉そのものと向き合う以前の実体験が豊富だったからに違いない。彼が構築した「意味の変容」は、単なる物語ではなく、読者を巻き込み、言葉そのものの力を体感させる試みなのだ。

『意味の変容』は、言葉を道具として捉えるのではなく、言葉そのものが生き生きとした存在であることを示している。そして、読者自身がその旅を通して変化し、言葉の可能性を発見するのだ。ここから得られる文学体験は、現代でもなお新鮮であり、私たちの言葉との向き合い方に新たな視点をもたらしている。


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