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責任に食われた過去の夢②

成績もそこそこ上がってきた、という時に担任の先生から不登校の子の世話を頼まれることが増えました。世話と言っても教室の前で立ち往生している子に声を掛けるとか、保健室まで迎えに行くというような軽いものです。

最初はボランティアのような感覚で引き受けていましたが、だんだん嫌気がさすようになりました。そもそも何故私にばかり頼むのだろう?元々そのこと仲が良かったならまだしも、そこまでではありません。他にも沢山女子はいたのにも関わらず、何故。

今思えば、私は歳から考えても人を差別したり必要以上に騒いだりしない、人の立場にたって考える力が同年代より優れていたからだと思います。誰でも分け隔てなく接するので、担任からすれば別にいいだろくらいの軽い気持ちだったのでしょう。毎回頼まれる度文句1つも言わず引き受けていましたが、本当は嫌でした。何故生徒の世話を生徒に頼むのだろうか?それは担任の役目じゃないのか?…疑問が尽きませんでした。何より担任の先生自体がその子と向き合うのを放棄しているようにしか見えなかったからです。

ですが言えませんでした。ここでNOを突きつければ、私は不登校の子を嫌がる悪い人になってしまう。その子が泣きだしても、嫌がっても、何度も保健室に迎えに行き連れていくのは嫌だけれど、嫌だと言えば後ろ指刺される。その責任感と人の目を気にする性格がどうにかこうにか私を動かしていました。

そんな時、その子にも私にも転機が訪れました。それは転校生の存在です。その転校生の子もどうやら教室になじめなかったらしく、最初は保健室登校を行っていました。そこで先ほどの不登校の人と仲良くなったらしく,徐々に教室へ顔を出すようになりました。

これでお役御免。私は前のように戻れるはず。

…ですが恐ろしいことがおこりました。

その二人はテニス部に入部しました。

私の中学校は部活動必須です。そのため皆どこかしらに所属しなければなりません。私の顧問は私たちの代の学年主任でもあり、普段からあの二人にかかり切りなところがあったためテニス部に入るのは分かり切っていたことです。それはいいです。問題は、部活動に来ない2人を連れてくるのが私の役目だったことです。

地域柄というものでしょうか。「来たくなければ来なくてもいい」が許されるような環境ではなく、全員参加は当たり前。来ない人はクラスで担当の教師が晒し挙げたり、面白おかしくからかったり。後ろ指刺されるような雰囲気の中、その子たちだけ例外というものはありませんでした。そこで恐らく、2人と同じクラスで副部長である私にその役目が回ってきたのだと思います。

放課後、部活の前に2人を探し出し、声をかけ、連れてきて練習させるのが日課に追加されました。時には2人とも逃げます。泣き出します。でもここで匙を投げると顧問に怒られます。一度相談して、一時間しても行こうとしなかったら放っといていいと言われましたが、それまで粘るなんて本当は嫌で嫌でたまりませんでした。部活の時間が一時間短くなることで先輩に迷惑をかけ、連れてきたところで面倒を見る。周囲は白い目で見るため誰も助けてくれません。地獄です。

この不利を覆すべく、家に帰っても自主練習をしていました。先輩に迷惑をかけたくない。周りに負けたくない。ここから抜け出したい。その一心でした。

もうすぐ中体連がやってきます。先輩の最後の大会です。私はもう一年ありますが、先輩は負ければこれで最後です。周囲の影響を受けて弱くなることは、先輩の迷惑にしかなりません。先生に頼まれても、同学年に無視されても、それは先輩には関係のないことです。誰に頼れなくても、ここで立ち止まってるわけにはいかないのです。

そしてこれくらいの時期から、徐々に肘へ違和感を覚えるようになりました。練習を終えてもさらに練習を重ねる当時の自分に、利き手の疲労は溜まっていたのだと思います。ですが厳しい環境で部活動をやってきた自分にとって、怪我をしても部活動に行くという選択は当たり前でした。少しくらいの痛みはないも同然です。今思えば、がむしゃらに進まなければ自分を支えていけなかったのだと思います。

当時の環境を振り替えると、最悪でした。顧問は部活にほとんど顔を出さなければ、不登校の子たちの世話を生徒に押し付ける。同学年は無視。仲のいい人がいなければこちらにすり寄ってくる。下級生は話ばかりで仕事をしない。そのくせ文句ばかりは言う。同級生と下級生の中が悪い。監督は、「自分はプレーを教えるのが専門だからそれ以外は生徒でやれ」と意に介さない。

たかだか中学生に何を求めているのでしょうか?各々がやるべきことと責任を放棄し、その所在は何も言わない人に集まる。これはいじめではないのでしょうか。

幸いにも先輩方と仲が良く、選手としても抜きん出ていたので居場所はありました。ですが苦しさも痛みもなにも変わりません。

先輩の最後の大会は終わりました。最後まで優しく、いつまでも暖かく見守ってくれた人たちは引退しました。そして今度は私たちの代になります。

私は推薦という形で部長になりました。

でも、分かっていました。これは押し付けだと。誰も責任を言及されたり、厳しい立場に居たくないから私を生け贄に差し出したのだと。

悩みました。ですが引き受けました。仮に部長にならなければ、もっと辛い立場に置かれていたはずです。

「責任に食われた過去の夢③」へ続きます。



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霧島美桜
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