人生の記憶、魂の記憶
「自分の中で1番古い記憶ってどんなもの?」
と聞かれて、そういえば幼少期こそ楽しい記憶ないなぁと改めて自覚して、ちょっとだけ悲しかった
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3/26の薪をくべるでの喫茶出店を終えた翌朝
顔を洗っていたら自然と涙がポロポロ溢れてきた
それはなぜかなかなか止まってはくれず
そのまましばらく動くことができなかった
これから仕事なのにどうしよう
どうして涙ってものは出てくるのだろうとやたら緩い涙腺を呪ったりもした
(いやホントにどうして?)
出店の帰り道と翌朝に浮かんでいたのは
みんなの「優しい笑顔」
その残像は心の深いところで絶え間なくあたたかい光を放っていて
魂レベルでの癒しが起きたような実感を伴っていた
涙を流していたのはきっと
胸の内にいつもいる、7歳くらいの小さなわたし
「わたしは受け容れられない」「何もできない」
という思い込みを通して世界を見て
不貞腐れていたあの頃
狭い世界に閉じ込められていて、強制されて
すごく窮屈だった遠い記憶(これも幻かもね)
「そうか。わたし、安心しているんだ。
存在を肯定されていることが、嬉しいんだ。」
「自由に好きなことを表現させてもらえて、嬉しいんだ。」
と、7歳の小さな私はとても喜んでいた
自分の意思で行動できる年齢になってからというもの
枠を越えて広い世界に出逢いに行ったら
もともとは光の集合体であるこの意識を憶い出し
少しずつ本来持っているチカラを取り戻してきた
そして周りを見渡せば、優しい人に囲まれていた
様々なことを経て、ここまで辿り着けたことに感謝が溢れてきて
この優しい記憶は、生涯忘れることはないだろうと
この命が尽きる最期の時には、今世は最幸だったと思えるように、、、
これからは、人生をそういう記憶で満たしていこう。涙を流しながら、力強く誓った朝だった
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“目の前に映し出されているものは
すべて自分の意識が創り出している”
わたしの好きな言葉
優しいあの人も、美しいこの景色も
素敵な人も、苛立つような出来事も、ちょっと苦手な人だって
ぜーんぶわたしという世界のフィルターを通して存在している
ただの光の粒にピッと意識を合わせたら瞬く間に物質化して立ち昇ってくるものたち
同じものを見ているようで誰一人として同じものを観ていない
きっとこれから更に素敵なことがやってくるだろうと予感して
予測していない角度から促される変容に若干の恐怖も感じているけれど
過去や未来も自分の意識ひとつで変えられるのだと気づいた
わたしがどのように観測するかで
それらはいかなるカタチにも変幻自在に形成されるのだから(もはや過去も未来もなくてあるのは今この瞬間だけだったりもする)
「もう、生きてる資格なんてないな」
と思うこともあったけど
過去がどうであれ、そこに言い訳をしない、
浸らない、被害者意識を使わない、人のせいにしない
自分の意識のチカラで現実を創っていることに責任を持つ
そんな生き方が、かっこいいと思う
わたしには、全人類には、思うような現実を創り出せるチカラを持ってる
そのことを、愚直に信じてる
ずっと大切に握りしめていた「無価値感」はもう古い
この世界のイメージを、今こそ塗り替えていくんだ(安定のビッグマウス)
訪問有難うございます(^ω^)ハグ