お散歩の先にある樹の扉へ
今日はふらり、ひみつのあぜ道に向かった。近くにある総合公園は、なかなか人が多く走ったり歩いたりしているので、誰もいないあの場所へ向かう。
こういう時は、携帯も何も持たずに、ただ逢いに行く。
広い空と
広い田畑と
どこまでも続くあぜ道に。
そして
空気に
自分をあずける。
そういえば、前にも気になってたような場所がある。
広がる田んぼにポツンと立ち並ぶ樹木たち。
わたしはあまり見たことのない、ただただ上に真っ直ぐに伸びゆく樹木なのだ。
帰ってきてからスケッチ
遠目でね、こんな感じ(イメージ)
あの先に何があるのか。
何も無いよ。
向こう側にある一本の道路にぶつかるだけ。
小さい頃、隣町のイトーヨーカドーに大きくて広いスロープがあって
母と母の友人と行った際に、その踊り場にあったベンチに荷物を置いて、ひと息休憩でもしたんだろうか。
わたしはそのスロープの先、折り返した先はどうなっているのかが、気になって気になって、一人でトコトコ歩いて行った。くるっと折り返して上って行ったけど、またその先は折り返していて見えなくて、
なんだ、特に何も無いのかぁ・・と、戻ったつもりが、もうベンチに母たちの姿はなく、自分もどこにいるのかわからなくなってしまった。
適当な階で売り場のおばさまに、「お母さんがいなくなっちゃったの(ToT)」
と言ったら、館内放送を流してくださり、慌てて母たちが迎えに来てくれたことを思い出しながらも
私はまた、
あの先に何があるんだろう?
と思って、その小さな林に向かって行った。
3、4歳のころと同じなのかよ。
樹々の中には、古い車やトラクターみたいなものが、数台置いてあった。不法投棄なのかこの土地の持ち主のものなのか、
時間が昭和のまま止まっているようだった。
この、上まで伸びゆく樹々に近寄ってみると
『生命の樹なり』
と、ぼそっと言う。
生命の樹・・聞いたことがない。
すっかり全ての葉を落とし、細く寂れたような樹々たちからは、これっぽっちも生命力は感じられず、この昭和な車たちが、余計に廃墟を感じさせる。
静かに、足元に積み重なっている枯葉を踏みしめながら、このトンネルを抜けてみると
突然、カラスがわらわらと枯れ草の中から飛び出して来て、一気に生命の躍動を感じた。
「大丈夫、何もしないわ」
草むらの中も、枯れ葉の下も、土の中も
たくさんの生命がうごめいている。
この樹木たちも、これからの寒さに備えて静かに冬ごもりの準備をしているのだろう。
子どもの頃のコンクリートで出来たスロープの先には何もなかったけれど、
今日分け入った小さな小さな林には、たくさんの生命が潜んでいた。
人間が残した廃車たちと共に。