名前のない木 15章 考察
衝撃
私は強く、ものすごい強い衝撃を受けた。
今回、母から聞いたこと全てが新事実であり、全くの盲点だったからだ。
幼い頃から自分の記憶力には割と自信を持っていたことが裏目に出た。
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私が4歳になる年の春、これから通う幼稚園の入園式の前日
予行練習として、母の自転車の後ろに座って通園コースの下見にいったのだが、その1往復で私は必死にコースを覚えた。
そして入園式当日
私は自転車で15分ほどかかる幼稚園までの道のりをひたすら歩いて到着し、一人で出席した。
前日の自転車での予行練習は、『母が道を覚えるために』私を連れて走ったのだと後で知ったのだが、『私は一人で通うものだ』と思っての行動だった。
実家では私がいなくなったことに気付き、捜索願いが出された。
入園式の終盤に数人の警察官がきて、
「入園する予定の〇〇さん(私のフルネーム)が行方不明になった。」
と騒ぎになったのだが、園長先生は「既に生徒は全員出席していること」を確認していた。入園式は、保護者と生徒が横並びに座るようになっていたのだが、私は一人で座っていたこともあり、すぐに1人で来ていたことが発覚した。
(のちほど母から聞かされた話では、先生方は『誰か別の生徒の保護者が引率を任されて連れてきた』と勘違いをしていたようである)
驚いた園長先生と警察官の表情、泣き顔で私を迎えにきた母を未だに覚えている。
ちなみに幼稚園で、男の子は「〇〇くん」、女の子も「〇〇ちゃん」という呼び方だったのだが、私だけ「〇〇さん」呼びになったのは、このときの警察官のせいである。
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しかし、母から聞いた話に関する記憶は一切ない。
忘れてるだけだとしたら、一度ぐらいその内容を含む夢を見ていてもおかしくないはずなのだ。
「記憶障害」というものは、実際に存在するのは分かってはいるが、小説などで都合よく使われすぎたこともあり、リアリティがないもの、と思いこんでいた。
実際に「私がそうだった」と母から指摘されても、素直に「そうですか」とは受け入れ難かった。
同時に悲しさも感じる。
この新事実を母から聞いても、何も思い出せないのだ。
小説、ドラマ、漫画なら「こういう事実を聞いた途端、それがトリガーになり、みるみる失われたはずの記憶が舞い戻る」みたいなストーリーが定番のはずなのだ。ところが、現実ではそんな気配は一切なかった。
※ちなみに記載をしている今の私も何一つ思い出せていない。
考察
事実の認識の一部が欠けている状態、いわゆる「ミッシングリンク」の存在が明らかになったからには、考察、仮説、検証、評価によって穴を埋めていくことが必要な工程になるだろう、と考える。
なぜ、記憶障害によるミッシングリンクが起きたのか
「枝から落ちたときにやはり脳に損傷を負って、それが記憶を失ったままとなる原因なのか?」
と考えたが、私は大学生のときにスノーボードで剥き出しになっていた岩に後頭部を強く打ちつけたことがあり、脳のCTスキャンなど精密検査を受けたことがある。そのときの医師から、
「特に過去から現在まで脳に異常があるような痕跡は見られない」
と聞いていたので。その可能性は低い。
ならばありえるのは、脳の損傷とまではいかない程度の、
「一時的な脳震盪を起こしていた」という線。
例えば、脳震盪によって脳に直前、直後の記憶が残らなかった代わりに、その前の記憶が強く残った、というような仕組みがあるとするなら、
『私が数十年間、同じ夢を頻繁に見続けることも説明がつくのではないか?』
と、仮説までたどり着く。
母は長く話し続けたことで満足したのか、私が長考に入ったことを察したのか、ダイニングから出て行った。
「母にとっても長年隠してきたことがストレスになっていたのだろうな」
と私は推測する。
更に考察を続けるため、「一度事実を整理したい」と思い周囲を見渡す。
録音状態のままになっていたスマホに気付き、終了ボタンを押した。
「スマホのメモ機能で入力しようか」と頭によぎったが、こういうときは、手書きに謎の安心感を持つアナログ人間である。
電話の近くにある要件を書くためのメモ用紙とボールペンを持ってきて、
走り書きをする。
・私が一人でくぬぎの木に向かったのは、事実か?
・「双眼鏡で死体をみた」という私の認識は間違いか?
・祖母が私に何度も言っていたように「死体と枝」を見間違えたのか?
・死体に見えた枝を確認し、なぜ私は枝に梯子をかけて下に降ろしたのか?
・そのときに私も枝から落ちて、頭を打ったのだろうか?
最後の項目は、先ほどまで考察していたので、すぐに訂正線をひく。
最初の項目も、母がここで嘘をつく理由が見当たらないので、訂正線。
ん?っと引っ掛かる。
「双眼鏡?」
自室の窓から双眼鏡で死体を見たと思ったときに、驚いた弾みで、2階の自室の窓から庭に落としている。
ところが、次の日の朝、自室の出窓に置いてあり使用した記憶がある。
自室からくぬぎの木は目視では厳しい距離なので、これは間違いはない。
「双眼鏡を出窓から落としたこと」を知っているのは私だけであり、誰かが拾ってくれたというのは考えられない。つまり、私が台風当日に外に出たときに、まず窓の下の庭で双眼鏡を拾い、おそらくポケットに入れてくぬぎの木に向かった、ということになる。
⇒その後、私は枝から落ちて倒れ、自室まで運ばれている。
この部屋に双眼鏡が置いてあるということは、誰かがポケットに入っていた双眼鏡を出窓に置いたことになる。
⇒それは、母屋の玄関から私を運んだ母か父のどちらかである。
これは、母、あるいは父に確認をすれば分かることだ。
なぜこんな矛盾にこれまで気付いてこなかったのか、
という自分の愚かさを恥じた。
・祖父の傘
・懐中電灯
あの台風の前日に用意していたものを、思い出しながら、メモの上に羅列していく。
これらは、母の説明どおりであれば『くぬぎの木の周囲に落ちていた』
ということになる。
「祖父の仕事用の傘」
たしかに記憶や夢の中でも、台風の次の日の朝、住職と祖母の話を聞くために、私は母屋の玄関から外に出たときに、”外で干されていた”
「懐中電灯」
母の説明の中で、梯子の根元を照らす位置に落ちていた、と言っていた。
これも、傘と同様に、母・父・祖父・祖母の誰かが回収したのだろう。
ここで、私が事前に準備をした道具の中で、
「唯一見つかっていないものがある」ことに気付いた。
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