【あと一歩でG1を逃した名馬たち】2005年フェブラリーS・シーキングザダイヤ
2024年2月18日にはG1フェブラリーSが行われる。このレースで2年連続2着に入ったのがシーキングザダイヤ。父は世界的名種牡馬のストームキャットで、母は名牝シーキングザパールという超良血馬だ。
3歳時は芝で重賞2勝を飾り、暮れから4歳戦以降はダートを主戦場として活躍。迎えた2005年フェブラリーSでは鞍上にフランスの天才騎手オリビエ・ペリエを擁する。
レースが始まり、まず逃げたのは同世代で同じように芝からダート路線へ転向したメイショウボーラー。軽快なラップを刻んで逃げていき、シーキングザダイヤは好位の一角をキープしていた。
4コーナーを回ってシーキングザダイヤの外からヒシアトラスがかぶさる形になるが、ここから併せ馬のように上がってくる。直線に入って200mを切ると、しぶとく粘るメイショウボーラーの脚色もさすがに鈍っており、シーキングザダイヤはヒシアトラスよりも前へ出て勢いを増して急襲。
最後は1馬身差近くまで攻め寄るが、そこがゴール版となり2着となった。メイショウボーラーがこれほどしぶとく粘るなんて想像以上だった。
スピード能力の高い同馬だが、実は朝日杯FSで手綱を握ったのがこのペリエ騎手。果敢にハナを切って逃げるが、最後は力尽きて2着に敗れていた。
もしかすると、ペリエ騎手はメイショウボーラーが府中ダートのマイルなら直線半ばでバテると踏んだのかもしれない。
そうだとすると、これは悔しかったはずだ。
雪辱とばかりに翌2006年もフェブラリーSに出走し、鞍上はまたもペリエ騎手。今度はメイショウボーラーをかわして直線先頭に立つが、後方から急追してきたのが、ダート界の新星カネヒキリだった。
同馬には前走のジャパンカップダートでもハナ差で敗れており、リベンジしたいところだが、異次元の強さであっという間に3馬身差を付けられた。
シーキングザダイヤはその後も惜敗となるレースが続き、ジャパンカップダートも2年連続2着となってしまった。地方交流重賞も含めて、武豊騎手や横山典弘騎手という一流騎手が主戦となったが、それでもG1では勝てなかった。
それだけ当時のダート路線は強力なライバルが多く、カネヒキリやアジュディミツオー、ヴァーミリアン、タイムパラドックス、ユートピアなど目白押しだった。
交流重賞を含めるとG1での2着回数は実に9回と素晴らしい戦績。決め手に欠ける面もあったが、海外も含めると延べ15場の競馬場に出走していた。長年活躍できたあたり、無事これ名馬とはこのことだろう。