ビジネススクール1年目が終わろうとしている その2
前回は一橋大学MBA(経営管理研究科 経営管理プログラム)に入学する前のことを書きました。今回は入学してからのことを書いていきます。今回のnoteで1年目の振り返りは終了です。(今週末は宿題のラストスパートを頑張ります。急いで書くので乱文になりますm(_ _)m)
何を学べているか:履修は量・質ともに大変
私の場合は週に3-5日間、大学院に通っています。経営管理プログラムの場合は平日の夜間が中心で仕事をしながらの通学なので大変です。宿題もすごい量と質ですので、土日や平日の授業後は宿題をしているか、休んでいるかになります。学期(4-7月、9月-1月が中心)の最初の方が良いのですが、毎回学期の後半は疲れがでるのと、レポートの量が増えるのでかなり脳がスタックする感じがします。しかしタフな方たちも多く、課題の多さや難解さを楽しんでいるように見えることもあります。(そういった方たちも外からは余裕そうでも相当大変なんだと思います)
1年次(通称M1)の必修は下記です。
・ワークショップ(ゼミ):2年間書けて論文を書く
・経営戦略:経営戦略全般
・財務会計:企業の会計
・企業財務:ファイナンス
・マーケティング:マーケターとしての実践講座
これ以外に一橋はホスピタリティ系の講義も充実しており、私も一部受講生ております。それぞれが大変重く、特に経営戦略と企業財務はグループワークと呼ばれる3-5人でケーススタディを検討するチームでのレポートが学期に4回課され、期末の筆記試験もあり輪をかけてハードです。その分、自分のためになるのと、先生方からだけでなく他の受講生から学ぶことがとても多いです。
ずば抜けて能力の高い人が多い
驚くのは頭脳が明晰な方の説明を聞いていると、なんとなく理解していた内容を非常にクリアに理解することができる点です。(こういった理解力、タフネス、説明力がある方が企業を引っ張っていくのだな。自分もそういった存在になろうと強く思わされる瞬間です。同時にものすごい敗北感を覚えますし、勉強ができるということがいかに仕事にも活きるのかをということを考えさせられます。そうして、その一つ一つの思考方法がいわゆる基礎の積み重ねだと気づきます。講義内容に加え、他の人が頭をうまく使っているのを見れることが大きな学びにもなっています。
ビジネススクールを選択する際に、卒業生の多さが重要であるという議論をよく目にしますが、正直私はそれに対して懐疑的でした。一橋は比較的小規模なため「ネットワークが大きくて卒業後もそれを活かせる」という評判はあまり目にしません。どちらかというと少人数で密に議論することが多いです。
今となっては私はビジネススクールの選定には他の受講者の質が自分に合っていることをネットワークの大きさよりも優先すべきと考えるようになりました。(ビジネススクールにはそれぞれ特色があるので、人によってどういった他の受講生と学ぶのかが自分に合うのかは異なると思います。)
こうした環境なので、文章を書き慣れていない、思考のスピードも遅い、知的タフネスもあまり無い、正直授業によっては取り残されていくこともある私には常に反省と敗北感がつきまといます。(間違いなく私は下位グループに属します。)
勉強を理解するのは自分、助けてもらえるようにできることはやる
そうしたわけで腐っていることが時々あります。ですが、皆さんとても優しく、わからないことを聞くと教えてくださったり、私がわからないことを察して助け舟を出してくださることも多いです。変な目に合ったことが一度もありません。(先生に呆れられることは何度かありましたが、それも学費で受けられるサービスのうちだと思うようにしています。)
しかし、大学院では論理と理論で議論が進むため、そういった意味では皆平等です。私が腐っている様子を見せてはいけませんし、時間の条件は全員おなじはずなのでついていけないのは私があるいです。それでも至らないお事が多いので、授業中とそれ以外で貢献できることはどんどんしていくようにしていっています。一橋ではマーキュリー委員会と呼ばれる同窓会組織があり、その委員会に属すことでゼミの皆さんに同窓会関連の情報伝達をしたり、定期的に外部から講師をお呼びする戦略的経営者研究会の企画委員を務めて外部から講師を呼ぶ取り組みもしています。議論も得意ではないので、エクセル作業など細かいこともするようにしています。
授業の課題も同じで、私の実務に近い分野(データ作成、パワポ作成、PCサポート等)は他の方よりもスピーディにできることが多いので、そこをチャンスにと言わんばかりに取り組むようにしています。
勉強以外のことも含みかつすごく細かい事が多いのですが、日頃周りの方に大変助けられているのでせめてものと言う感じです。
学びの途中でハッとする
ここまで書いて卑屈になっているかというと、実はそうでもありません。(腐ってしまうことはありますが)
前述の通り大学院では、論理と理論において先生も含め平等だという空気感があります。特に一橋は「理論と実践の往復運動」を大切にしていることも関係していると思います。大学院は入学前後でカリキュラムの内容や方針、先生のご経歴や教育内容などが重要視されます。しかし、私はそうした制度的なことやプロフィール的なことだけではなく、学校のカルチャーと受講生のカルチャーが相まって作られる絶妙な雰囲気が重要で、学生一人ひとりに与える影響がかなり大きいのではと8ヶ月通って考えるようになりました。
大変な社会人学生生活の中で気づいたこと、学びのためになるような考え方を羅列してこのnoteを締めくくりたいと思います
学び①「批判はネガティブではない」ということを知ると得られる情報が増える
一橋の経営管理プログラムでは課題図書として苅谷先生の「知的複眼思考法」が選定されています。本当に同書で書かれていることが、何度もなんども頭の中を回ります。その中で批判の重要性に関する説明があります。
物事を考える出発点は、批判的に物事を考える姿勢だというのです。「相手の言う事や書いていることを相手と同じ立場で一つひとつを本当かどうかを疑いながら吟味すること」「あらゆる理論を当てはめて一つの物事を吟味すること」「その中で理論との違いをつまびらかにすること」「理論と違うところはどのように違うのかを考えること」、それらが考えることだと本書には書かれています。
理論と実際の異なるところを吟味するのが考えることなの?と最初は思いましたが、学びを進めるうちに、ここでいう批判というのはネガティブではないことに気づきます。知的複眼思考法は、思考によりもその先のものごとの本当の姿を見ることに重きがあるようです。こうした内容を学ぶことで、最初は批判が嫌だった私も(今も嫌ですが)、批判をネガティブなものではないと知るようになったので、物事が前に進むことも増えてきたとおもいます。
学び②「他人は他人、自分は自分」~勉強を理解するのは他人でなく自分
周りが優秀で自分がついていけないとついつい落ち込みます。
しかし改めて考えると、突然できる人たちに追いつくことはできません。やはり勉強は自分の思考スピードでしか理解できません。悩んでいて手に取った「東大教授が教える独学勉強法」にはそういったことが書かれていました。
もちろん、無理をしながら取り組まなければならないことも多いのですが、重要なのは本質的に理解をすることだと思います。理解をした上で、理論を仕事にいかすと経験でえられた知識よりも一般的な広い思考で物事を見ることができるので、自らの仕事への影響が高まることを感じます。
学び③「論文を書くには手を動かすしかない」
私の指導教員の先生が何度も言う言葉です。手を動かすとは「考えたり話したりするだけでなく作業を実際に行う。」というのがその意味です。私はこの言葉の意味をきちんと理解できていませんでした。正直、学問において手を動かすとは「読書をしたり、考えること」と思ってきました。(この概念をうまく理解できていなかったことが、私の思考のクセなのだと思います)
先生のおっしゃる意図としては読んだり書いたりするなかで思考を巡らせろ、思考が動いたらまた理論を確認しろということだと理解しています。
学部で卒論を書いていない私としては、論文を書くことは大きなチャレンジですが、ひとつのことをしっかりとまとめるというのは私の目的のひとつなのでできる限り取り組みたいと考えています。
学び④「基礎を徹底的に、一つずつ」
できる人を見ていると、必ず基礎的な思考を一つずつ自分のものにしているのがわかります。例外は無いような気がします。今は追いついていないのですが、基礎をしつこくしつこく、何度も行っていきます。私は10年後を見て勉強し続けていこうと考えています。
学び⑤「逆境が人を育てる」
要は、一橋は今の私にとっては逆境です。
そうした中でできる限り物事に取り組んでいくことが次に繋がるのだと考えています。(「夜明け前が一番くらい」だとあまりにも夜明け前が長すぎる状態なのでこちらの表現を選びました。)
カレンダーもあと1週間
ではそろそろ大学院の宿題に戻ります。
他にもハッとした「できる社会人の考え方・思考法」は合ったと思うのですが、それはまた今度といたします。
あと1週間ほどとなりましたが、最終週は私以外の方が記事を書いていただ日が多いですので引き続き「いちばんいやらしいWebマーケティングの教科書」をお楽しみに♪
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