大月櫂音
小説とか映画とかの感想や批評を上げていきます。よりカジュアルなものははてブにて(https://speculativemoon.hatenablog.com)/アイコン画像:五百式立ち絵メーカー(https://picrew.me/ja/image_maker/625876)
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【論評】朱金色の世紀末──〈ジョジョ〉コンテンツの文脈再定義からみる上遠野浩平『クレイジー・Dの悪霊的失恋』(「解釈」篇)
・はじめに ある作品があり、そのコンテンツを拡張するものとしてスピンオフが描かれるとき、それが「解釈」の色彩を帯びない、ということはありえないように思う。スピンオフは、原作者によって書かれない場合例外なくこの「解釈」の重力圏に包摂され、作者(原作者にあらず)はその中で独自の物語を語るしかない、というような。それは評論と創作のハイブリッドであり、その点においてパーソナルな質感を帯びる。スピンオフにおいて「作者」という「主体」は、原作以上に重要なものになるように思う。 上遠野