目からビーム!114 裁判官は敵か味方か~群馬の森裁判を”奇跡”で終わらせるな
喜劇王チャーリー・チャップリン。1943年、彼は、ジョーン・バリーという無名の女優から自分が身ごもっている子供の父親であるとして、認知を求める訴訟を起こされている。バリーが出産した女児は、血液検査でチャップリンの子ではないと判明したものの、裁判はバリーの完全勝訴。チャップリンは莫大な養育費をむしり取られることになったのである。
アメリカ流陪審員制度の問題点はここにある。血液検査という科学的データよりも安っぽい同情心が審判の行方を決めてしまうのだ。おそらく陪審員は「女性(弱者)の味方」ヅラした偽善者たちだったろう。喜劇王の名声に対するやっかみもあったかもしれない。また、当時チャップリンはコミュニストとしてFBIから要注意人物と見られていた。
もっとも日本の法廷も実情は、陪審員制と変わらない。裁判官という「陪審員」の思想的信条ひとつで、不可解な判決が下りた場面を何度も見ている。「百人切り裁判」しかり、「集団自決裁判」しかりである。特に、戦中の渡嘉敷島島民集団自決を「軍命令」とした、大江健三郎著『沖縄ノート』の出版差し止めを求めた後者の裁判の判決では、「原告らが自決命令を発したことを直ちに真実と断定できない」としながらも、原告の敗訴を宣言したのだ。判決文には「軍令」の有無に言及していないが、左翼勢力はこれをもって「集団自決強制を司法が認めた」と大宣伝を行った。まるで連携プレイのようなみごとさだ。
そんな折り、群馬県立公園「群馬の森」に設置された、怪しげな朝鮮人労働者強制連行追悼の碑をめぐり、設置期間の更新を不許可とした県側に対して、碑を管理する市民団体が撤回を求めた訴訟の上告審で、最高裁が団体の上告を却下したことは、司法への不信を募らせる僕の胸に小さな灯をともす出来事だった。正義はまだ辛うじて生きていたのだ。
とはいえ、今回の裁判の本当の主役は県ではない。ことなかれ主義の自治体を動かしたのは、『そよ風』という女性だけの小さなグループとその支援者の地道な陳情や街宣活動である。
日本全国にまだまだ怪しげな追悼碑やモニュメントが数多く建っている(むろん沖縄にも)。今回の判決は、戦いの一里塚に過ぎないのだ。
(初出)八重山日報
よろしければご支援お願いいたします!今後の創作活動の励みになります。どうかよろしくお願い申し上げます。