目からビーム! 100“移民様”がやってくる
港・横浜の地に中国人が移住し始めたのは、安政5年(1858年)の開港とほぼ同時というから、160年も前ということになる。当時はまだ清国の時代で、辮髪や纏足をした人も珍しくなかったという。彼らは主に三把刀(さんばとう)と呼ばれる職人たちだった。三把刀=三つの刃物とはすなわち、包丁(料理人)、鋏(仕立て屋)、剃刀(理髪師)である。横浜中華街の礎を築き上げたのが、この三把刀たちなのだ。
日清戦争、そして日支事変と、日本と中国大陸のふたつの戦争をくぐりながらも横浜の華僑たちは、周辺の日本人と仲良く平穏に暮らしていた。ひるがえって、アメリカは太平洋戦争中、アメリカ国籍をもつ日系人の財産を没収しゲットーに閉じ込めているのだ。
日本人は決して排外的ではない。戦前の日本には、華僑の他、当時、日本人だった台湾人や朝鮮人もいたし、白系ロシア人もトルコ人も住んでいた。日本にバームクーヘンを伝えたユーハイム(ドイツ人)はもとはといえば、第一次大戦の捕虜だった。
今、移民問題に揺れているフランスも本来は異人に対して寛容だったはずである。パリでその才能を開花させた芸術家たち……ピカソはスペイン人で、ゴッホはオランダ人、フジタは日本人だった。フランスの文化を愛し芸術を愛する者は誰でもパリっ子を気取れた。
しかし、そのパリは昔日の面影もない。イスラム系移民たちが街を占拠し、周囲との軋轢は絶えず、暴動も頻発する。それを制する者が、差別者扱いされる始末だ。
欧州の移民政策は完全に失敗したといっていい。寛容と無規則を取り違えた偽善者の声に踊らされた結果だ。徳川綱吉の「生類あわれみの令」は天下のバカ法だが、あれの“お犬様”を“移民様”に言いかえると今の欧州の光景になるのだろう。
これからやってくるだろう中国系移民をかつての三把刀のように迎えるのは危険だ。70年間の共産主義一党独裁は、徹底的な人間不信と利己主義をあの民族に醸造した。
既に横浜も新華僑といわれるニューカマーに三把刀の末裔の老華僑に駆逐されつつある。
ある中華街の古老から、「最近、新三把刀という言葉があるのを知っているか」と聞かれたのは15年も前のことである。包丁(強盗)、ドライバー(ピッキング)、青龍刀(黒社会)を指すのだそうだ。
通りを不法占拠する移民と、それを強制排除させる警官隊の衝突。(パリ)