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僕(但馬)が描いた通州事件3 番外編

(はじめに)
通州事件の渦中にあって、邦人虐殺の一部始終を目撃した佐々木テンさんにとって、通州という土地は阿鼻叫喚と同義語だったことだろう。しかし、それ以前には、夫・沈さんとのささやかながら平穏な生活がそこにあった。苦界から救い出してくれた夫に対し、恩義も愛情も感じていたはずである。そう思うと、地獄絵図の中にだけテンさんを置くのも切ない気がしてくる。、僕はテンさんの幸せだった日を想像しながら、通州の平和な光景を描きたいと思った。テンさんの通州案内である。

【親善通州】

物売りのテンさん。

▲通州は中国大陸によくある城塞都市である。場内にはこのような石垣の門がいくつもある。「親善通州」「建設東亜新秩序」「反共」とスローガンが書かれている。

【冀東防共自治政府正門】

イラストの下部、写メで切れてしまいました。ロバに空の荷車引かせてぽっくりぽっくり。仕事帰りかな。
当時の人着絵ハガキより。


中央の中国服の男が、冀東防共自治政府の政務長官・殷汝耕。門の奥、左手に熱灯舎利塔が見える。

▲冀東防共自治政府。昭和10年11月、日本は殷汝耕を担ぎ出し、北京郊外の都市・通州に親日政権の冀東防共自治政府を置いた。殷の第二夫人は日本人。

【熱灯舎利塔】

現存する写真から、できるだけ細部を再現してみました。
運河に囲まれた熱灯舎利塔
西洋人の旅行記の挿絵のようである。仏語の文章には「彼が街の外に自分を連れ出し、寺院の中を見せてくれた」とある。寺院はホテルとしても使われていたようだ。石塀の上に人が描き込まれているので、塔の高さがイメージできる。

▲通州の最北、蓮池のほとり、冀東政府庁舎近くに建つ通州のランドマーク。十二層八角柱の舎利塔(ストゥーパー)。その名の通り、夜ともなれば、灯明が灯される。運河を行き来する舟の灯台代わりの役目も果たしていたのだろう。中共政府の「再開発」によって事件当時のよすがを知る建物はことごとく解体され。現在残るのはこの塔だけといっていい。

冀東政府が発行した紙幣に描かれる熱灯舎利塔。

【近水楼・旅館】

最初に建物を描いて、あとで人物を描き足したせいか、テンさんには少し窮屈な思いをさせてしまったかな。猫、犬、鳥も描きたかった。右側のご飯?を食べてる女の子は、支那画報誌にあった写真をモデルにした。
近水楼の全景がわかる写真はこれくらいのものだろう。事件の日、このポーチから天井に逃れ助かった人たちもいた。
破壊された玄関。フロアの絨毯からは血が絞れ、壁には頭髪のついた頭の皮がへばりついていた。賊は、虐殺強姦だけではモノ足らず、畳から壁紙まで剥がして略奪していったという。

▲通州北部。蓮池を臨むほとりに建つ旅館。正面ポーチを擁する準コロニアル様式の建物は、おそらくは西洋人の設計によるもの。通州事件時、もっともむごたらしい惨劇の舞台となった。蓮池には犠牲者の遺体が浮かび水は血で赤く染まったたという。
戦後、共産党はここをしばらく映画館として使用していた。

【蓮池から熱灯舎利塔を臨む】

▲実際の舎利塔は蓮池の北側にあるため、イラストのような月の出方はしない。ただ、なぜか、浴衣姿のテンさんを描きたくなったのだ。

【おまけ】

通州電信電話局。保安隊はここも襲い電話線を切断、外部との連絡を取れなくした。


通州の日本人街。中国服の人も多い。絵ハガキと思われる。
東通り。通州のメインストリートらしく活気がある。仁丹や大学目薬のポスターも見える。


通州天主(カトリック)教会


神学校。戦後は今世紀の初めまで中学校として使用されていた。


城壁と運河。交通と流通の要。
回教徒のためのモスク


通州列車。城壁南口を通る。事件時の日本軍到着を再現したもの。絵ハガキ。


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但馬オサム
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