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僕が語っておきたい下北沢⑪~シモキタ銭湯時代
下北沢は知らないうちに古着屋の街と呼ばれているようである。右岸も左岸も古着屋が目立つ。いくつか見て回ったけど、誰が着たのかわからんくたびれたTシャツが3000円とは恐れ入ったもので、古着に値段はあってないものとはよくもいったりだ。
一番街にNEWYORK JOE EXCHANGEという古着屋があって、いつも若者でごったがえしている。ここは改装される以前、八幡湯という銭湯で、僕もよく通った。古着屋になった今も、高い天井、タイル貼りの床が、かつて銭湯だったことを偲ばせてくれる。ここに番台があったな、確か浴槽はひょうたん形だった、などとなつかしみながら店を出て、ようやく気がついた。
NEWYORK JOE=入浴場。EXCHANGEで交換か。なかなかシャレが利いている。オーナーの心意気を感じた。
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僕が住んでいたころは、八幡湯を含めて下北沢に3軒の銭湯があった。
一番街を突っ切って、今もある三河屋酒店の十字路を笹塚方面に数メートルいった右側に、確か北沢湯といったかと思ったが、昔ながらの破風型の銭湯があった。家からは一番近く、八幡湯が休みのときや冬寒くて八幡湯に通うのがおっくうなときはここを利用した。だからか、この風呂屋を思い出すとき、きまって冬の夜空が浮かんでくる。三河屋の向いにかど屋という名前の、おばちゃんがひとりでやっているカウンターだけのお好み焼き屋もセットで思い出す。よく風呂上がりに一杯やったものだ。
残りのもう一軒は南口商店街を下ったところにあった。現在の餃子の王将が昔、銭湯だったのだ。このビルの上はマンションになっており、ブレイクする前のアルフィーの3人組が住んでいたという。
さらに、僕が引っ越してくる前には、駅前の富士銀行(現りそな銀行)の場所に銭湯があったと、これは、以前にも話に出てきたブリキの自発団団員のK君から聞いた。銀行の隣はピーコックで、そのはす向かいに風月堂があった。森茉莉が『贅沢貧乏』の中で、風月堂の横の銭湯に入ったと書いているので、てっきりこの駅前の風呂屋のことだと先日まで思い込んでいたが、どうも違っていて、本の中で語られている銭湯は八幡湯のことらしい。それについては、↓のブログが詳細な分析をしているのでご参照ください。
男湯と女湯の隔てがあれど、マリアばあ様と同じ湯につかっていたと思うといささか感無量である。もっとも、茉莉は父鷗外譲りで風呂場では、湯で体を流すだけで決して湯舟には入らなかったらしいが。
八幡湯は、「はちまんゆ」と読むのか「やはたゆ」と読むのか、二通りの説があるが、判然としない。確かめたこともない。僕は「はちまん」派だった。お湯はややぬる目で、湯舟はゆったりとしていた。わが銀紙楼には、いつも仲間がゴロゴロしていたので、夕方みんなでそろってタオル肩掛けでぞろぞろとひと風呂浴びに行くこともあって楽しかった。番台のところで、男女チームはしばしのお別れだ。石鹸を忘れて女性軍に投げてもらったことがあるが、そのときばかりは番台のおばさんに叱られた。
ある日、K君とふたりで八幡湯に行ったが、びっくりしたのは、やつが女性用のパンティを履いていたことだ。なんでも、替えがなく、彼女のパンツを無理やり借りてきたそうだ。どう見ても変態である。一緒にいる僕だってヘンな目で見られそうだ。もっとも人のことはいえないかもしれん。やはりブリキの役者でS君というやつがいた。昼風呂でまだ先客がなく、僕らの貸し切り状態である。おふざけの延長で、お互い体に石鹸を塗りたくり「ボディ洗い!」とかやっているところに、向かいの靴屋のおやじさんが風呂桶手拭いさげて入ってきたもんだから、あのとのバツの悪さったらなかった。この靴屋、ベルシューズといって、おやじさんはちょっと六代目圓生に似た老人で、「らっしゃいますね」という上品な商人言葉を話す人だった。
そうそう、あがた森魚さんに風呂代をおごってもらったことがある。やはり八幡湯である。後にも先にもあがたさんにおごってもらったのはそのときだけだったが。
てなことをつらつら思い出しながら書いているが、当時の僕にとって風呂屋は三日にいっぺんの贅沢といってよかった。あのころの風呂代は360円くらいか。それでも蜂屋へ行けば、ラーメンにカレーライスが食べれたのだから、大きかった。一週間ぶりに風呂屋にいったりすると、汗や脂で体がコーティングされていて湯を弾くのには驚かされた。石鹸をつけた陰毛はまるでカリフラワーのように盛り上がったもんだ。
夏場など風呂代節約のため、流し風呂ですますことも多かった。体に石鹸をつけ、台所のシンクに身をかがめて湯沸かし器の湯で体を洗うのである。この流し風呂、風呂なしアパート住まいの経験者なら誰でも一度ぐらいやったことあるのではないか。やはり下北沢とは縁の深いWAHAHA本舗の柴田理恵も食えない時代、流しを風呂代わりにしてたとテレビで語っていた。そのとき彼女が紹介していたが、一番街にあったパン屋さんのたまごパンで、これは僕も大好物だった。ただのコッペパンにマヨたまを挟んだだけの代物なのだが、パンのほんのりした甘さとたまごの味が実にマッチしていて、これで130円は涙ものだ。昔ながらに紙袋に入れてくれるのもうれしかった。残念ながら、もうそのパン屋もなく、今は小じゃれたベーカーリーになっている。
8月の終わりころ、八幡湯の一番風呂にいくと、カランの一列にみごとな紋々が並んでいる光景にぶつかることがある。テキ屋さんたちだ。ああそうか、お祭りなんだな、と気づく。シモキタの守護神・北沢八幡神社の例大祭は9月の第一土曜日曜である。この彫り物品評会も晩夏の風物詩といえた。
北沢八幡については、またゆっくり語ろう。ひょとして、八幡湯の八幡は、八幡様のことか? そんなふうに思うと、やはり僕は今でも「はちまんゆ」と呼びたい。
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