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目からビーム!131「井筒監督の無抵抗とガンディーの非服従」

 日本の自称平和主義者がよく引き合いに出すのがマハトマ・ガンディーである。間違ってほしくないのは、ガンディーは決して無抵抗を説いたのではない。「われわれの民族が辱めを受けるときは、立ち上がって武器を取る」と彼は言っている。ガンディーの説いたのは不服従主義(非服従主義)である。そもそも。インド独立はガンディーのカリスマ性だけで成しえたわけではない。同じころ、チャンドラ・ボース率いるインド国民軍(INA)がイギリスと戦っていた。
 ひるがえって日本のお花畑左派が掲げるのは不服従ならぬ服従主義。奴隷の思想だ。
『パッチギ!』という朝鮮高校生のヤンチャを描いた映画を撮った井筒和幸とかいう監督がいる。およそ暴力を描くことしか能のないこの監督は、ガラにもなく、無抵抗主義者、服従主義、空想的平和主義者のようだ。彼は以前、新聞にこんなコラムを寄せている。
「万が一他国が攻めてきたら国民は無抵抗で降伏し、すぐに首相や政治家が和平交渉に出るんです。九条が為政者にそう命じているんです。その方が被害が少ない」
 この監督は、第二次大戦中の仏ヴィシー政権の信奉者なのだろうか。現代のフランス人が聞いたら屈辱で顔を真っ赤にするか、お前は歴史を知らないと鼻で嗤うかどちらかだ。

「三宅久之のジジイにパッチギくらわせたい」とも書いていた。どこが平和主義者なんだ。

 1940年7月、和平派のペタン元帥が首相の座につき、ナチス・ドイツに対しパリを無血開城した。これによってフランスは戦禍を逃れ、文字通り、若者の血が流れることはなくなった。しかし、この政権はナチスに迎合することで命脈を保ったのである。1942年7月、パリだけで1万3千人のユダヤ人が連行され護送列車に押し込められた。やがて、ユダヤ人狩りはフランス全土へと広がっていく。そのほかに、2万人以上の労働者がドイツに送られ、過酷な労働に従事させられてもいる。同性愛も非合法化された。
 もし、井筒監督のいう、「攻めてきた他国」の軍隊が特定の民族に対し激しい憎悪と差別感情をもつ者たちで、彼らの提示する和平の条件にそれが色濃く反映されていたとしたらどうする。特定の民族――たとえば、彼の愛する在日韓国人・朝鮮人を――収容所に送れというのだろうか、この監督は。そしてそのとき、彼は自分にこう言い訳するのだろうか。
「これは平和のためなのだ。九条がそう命じているのだ」と。

フランス人にとってこの図は、永遠のトラウマだろう。

初出・八重山日報2022年1月27日付

(後記)30歳のとき、3カ月ほどパリにいたことがある。そのとき知り合ったシルヴァーンというおじさんがいた。彼はユダヤ人で、物心ついたときには、その胸には黄色い星(ユダヤ人の印)が縫い付けてあったという。親元を離れ、子供たちだけの施設に入れられて過ごした(なぜその施設に入れられたかも話してくれたと思うが、僕の語学力の限界で、すべてを聞き取ることはできなかった。また、以下の文には、聞き間違い、記憶違い、があるかもしれないがご容赦)。いつ強制収容所に送られるかはわからない。子供とて死と隣り合わせの生活だった。ある日、赤十字からの使者が施設にきた。同様の施設を巡り、何人かの子供を引き取って、スイスで養育する運動を行っているのだという。「助かるかもしれない」。シルヴァーンは子供ながらに直感した。しかし、スイス行きの切符は限れている。「人道主義」もまた、人を選別するのである。彼は赤十字の役員に気に入られるよう、精一杯、愛くるしい媚態で彼らの目に留まるように振る舞った。その甲斐あって、彼は選に入り、命を拾うことができた。しかし、残された施設の子供たちのその後はようとして知れない。ひょっとして自分が救われたぶん、誰かが代わりに命を奪われたかもしれない。その思いを彼は引きずっていた。シルヴァーンさんは、ためか、とっても質素で、無欲な人だった。本職は前衛画家だったけど(僕のパリでの居候先が画廊だったので、そういう人たちとの出会いは多かった)、「僕はパンとカフェ・オ・レがあればいいんだよ」といい、夏冬数着の服を交互に着ていた。年金はもらっていたようだが、毎月の生活費の枠はきっちりと決めていて、余ったぶんは自分より貧しい人のためにと、寄付をしていた。
 こういう人を見てきたからね、井筒監督のような無邪気な降伏主義者には、「何よ、それ」と思っちゃうんだよね。むろん、抗戦すべて良し、といいたいわけではないが。

僕が敬愛するセルジュ・ゲンスブールもまた、胸に黄色い星(étoile jaune)をつけた少年時代を送っている(僕のパリ行の目的のひとつに、彼の墓参りがあった)。彼の両親は革命を逃れてパリにやってきたユダヤ系ロシア人だった。父方だったが母方だったかは知らないが、彼の叔父も収容所送りになっている。
後年、音楽家として確固たる地位を築いたゲンスブールは、あのカルチエに純金製の黄色い星を特注し、その死の紋章を成金趣味に変えて笑いのめしている。

少年時代のゲンスブール。胸に縫い付けられた黄色い星は死へのパスポートだ。


ゲンスブールにはその名も『イエロー・スター』という曲がある。♪俺は手に入れたぜ、イエロー・スター~と彼らしい諧謔に満ちた歌詞。

同曲収録のアルバム『ROCK AROUND THE BUNKER』(邦題『第四帝国の白日夢』)は、他に『ナチロック』や『SSシ・ボン』とか、ナチズムを黒い笑いで包んだ曲が多い。



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但馬オサム
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