変態さんよありがとう⑫~消えゆく変態と生まれる変態
『昭和性相史』シリーズで知られる風俗史家の下川耿史さんから伺ったことだが、切腹マニアのほとんどが戦争体験者で、年々マニア人口は減少をたどり、いづれ消滅してしまう運命にあるのではないかということだ。早乙女宏美さんのような戦後生まれの研究者(しかも女流!)もいるが、その先の世代となると心細い限りである。。もともと、層の厚いとはいえぬジャンルだけに、何かの形で、マニアたちの足跡を残してほしいものである。三島由紀夫とも親交のあった、切腹研究の第一人者・中康弘通氏の著作(古書価格でどれも数万円)など文庫シリーズで再販すれば、それなりの読者はいると思うのだが。
戦争体験と切腹マニアの関係について下川さんは、「自分だけ生き残ってしまって戦友に申し訳ない、そういう思いとどこか繋がっているようだ」と話してくれた。
確かに、古参のSM愛好家には、戦争体験を原風景にもつ人も少なくなかった。『奇譚クラブ』の編集長だった美濃村晃(須磨利之)氏がそうだし、僕の知る人では世田介一(荒川也寸志)さんもそうかもしれない。昭和8年生まれの世田さんは従軍経験こそないものの、バリバリの軍国少年で、いつかお国のために死ぬものと心に決め志願の日を夢見て思春期を過ごした。敗戦であらゆる価値観が変容する中、ならば、これからは自分の好きな道を極めようとSMにのめり込んでいったという。世田さんは、美本と書いて「ビニ本」、愛奴と書いて「アイドル」と読ませるなど、独特の言語感覚の持ち主でもあった。
軍隊で男色に目覚めたという人も何人か知っている。日本の性倒錯文化に戦争が与えた影響というものも無視できぬのではないのか。僕自身、いつか「戦争と変態」というテーマで本を書きたいなと漠と思いつつ、馬齢ばかりを重ねてきてしまった。
消えゆくマニアといえば、おむつマニアもそうだろう。あれはやはり、布おむつへの郷愁をリピドーとしたものだから、紙おむつ世代がすでに成人を迎えている現在、後継者は先細りだ。ふんどしマニアは、「お祭り野郎」というカテゴリーに吸収され残っていくかもしれない。
このように、変態も長いスパンで見れば、流行りすたりがある。消滅していくものもあれば、新しく生まれるジャンルもあるのだ。たとえば、全タイ(全身タイツ)――ポリエステルやスパンデックスなど伸縮のある素材のタイツで頭からすっぽり全身を覆い、自身であるいは複数で触れ合いながら、その感触を楽しむプレイ――これは、特撮番組などの戦闘員をイメージしたもので、当然ながら平成以降に発生したものだ。あるいはドーラ―という、女装の変種としての人形コスプレもそうだろう。
今後、10年で定着するだろう変態ジャンルとして僕が予想するのは、マスク・フェチである。コロナの流行で誰もがマスクをつけるという異常事態が何年か続いた。マスク姿で授乳するママさんも少なくなかった。人生の最初の記憶が、マスクをした母親の顔だとしたら、これは強烈な刷り込み(インプリンティング)となるはずだ。その赤ん坊が思春期を迎えるまで10年と少しという計算である。
事例がないわけではない。友人のSMクラブのママによれば、マスク姿のS女性に睨みつけてもらうだけで、性的興奮の高みに昇りつめて射精するという会員がいたそうだ。高校時代、マスクをしたスケ番グループに囲まれカツアゲにあった体験が、性的なものと関係づけられて記憶にインプットされてしまったらしい。そういえば、昔のツッパリ少女って意味もなくマスクをつけていたっけ。
性と書いて「サガ」とも読むが、性倒錯というものは実に人間臭いものであり、変態さんたちとの付き合いは、僕の人間洞察の趣味に大きなヒントを与えてくれたとも思う。