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み軍(いくさ)にゆく たけく戦へ~志願兵を讃え鼓舞した朝鮮の女流詩人

毛允淑(モ・ユンスク、모윤숙)1910~1990
朝鮮の女流詩人。梨花女子専門学校卒。その後、名門・明信女子学校の教師となる。朝鮮近代文学運動のリーダー李光洙(イ・グアンス)の勧めで教育者であった安浩相(アン・ホサン)と結婚するが、長女が誕生するとすぐに離婚している。彼女もまた、自立した新しい時代の女性=新女性だったのである。

毛允淑。本貫は光州毛氏。朝鮮で毛姓は珍しいのではないか。
左から李光洙、イ・ソンヒ、毛允淑、崔貞熙(チェ・ジョンヒ)、金東煥(キム・ドンファン)。才女はまた美人ぞろいだ。金東煥は雑誌『三千里』の経営者。同誌が縁で崔貞熙と結ばれる。崔はKAPF(=カップ。朝鮮無産者芸術連盟)出身の社会主義運動からの転向。

 大戦中は朝鮮文人協会(会長・李光洙)に所属、太平洋戦争支援のために多くの団体を統合して組職された朝鮮臨戦報国団に参加し、朝鮮青年に
向けて戦意高揚のための多くの詩、論文を残した。「女もまた戦士である」が彼女の持論であった。

雑誌『三千里』昭和16年1月号に掲載された毛允淑の詩「志願兵へ」

 戦時における彼女の一連の文学者としての姿勢は、戦後(解放後)、”親日派”として非難の対象ともなったが、幸運にも李光洙や崔麟のように反民族委の逮捕リストに上がらなかったのは、早くから反共主義を標榜し、李承晩政権を外交面で支えたからだともいわれている。
 だが、朝鮮戦争ではさっさと国を捨て逃げた李承晩には怒り心頭で、のちに李と再会したときは、ネクタイをつかんで「おじいちゃん、自分一人で逃げてどんな思いか!」と一喝したという。


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但馬オサム
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